
やりたくないことがある。
やりたいことがあるけど、やりたくないことがたくさんあって何もできない。
やりたくないことはできればやめてしまいたいけど、どうしてもやめられない。
やりたくないことに人生が埋め尽くされて何も楽しくない。
そんな風にとても悲観的になってしまっている人が多くいるかもしれません。
日本では特に同調圧力であったり社会常識・社会通念、あるいは世間体、親の目・意見、お金が無いとどうしようもないから行動できないといったことが多いように感じます。
しかしながらいろいろな理由をつけて「仕方がない」と自分を騙しこんでまで『やりたくないこと』を続けていると心も体も壊していってしまうこともあります。
我慢して、我慢して、我慢して。
その先に「きっと」幸せがあるはずだから。
そうやっていつまでたっても『やりたくないこと』を優先する生き方では、いつまでも苦しいままかもしれません。
社会が大きく動いている今、私たちは一体どのように気持ちを整えながら『やりたくないこと』つ向き合えば良いのでしょうか。
今回は、『やりたくないことはやらなくていい』という考えについて、そのメリットと行動の起こし方などについてご紹介していきたいと思います。
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目次
なぜ『やりたくないこと』をやってしまうのか

おそらくほとんどの人が心の底で「ホントはこれ、やりたくないんだけどなぁ。」と感じることが1つや2つ、多い人は数え切れないほど抱えているのではないでしょうか。
仕事や家庭、人間関係、勉強、お金、生活、買い物、環境など様々な分野で「仕方がない」と半ば諦めたようにしてやりたくないことをやり続けている人もいることだと思われます。
しかし、私たちはどうしてこれほどまでに「やりたくない、やりたくない」と考えているにも関わらずやりたくないことをやり続けることが多いのでしょうか。
他人の目・教育・慣習
私達がやりたくないことを思い切ってやめることができない要因は、「そう教わってきたから」「そうしないと白い目で見られるから」「そうするのが普通だから」「怒られるから」「そうしないと生きていけないから」という『どこかで言われてきたこと』であったり『他人の目』を気にしているからということが多いでしょう。
または、実際に行動に移して親や身近な人に迷惑をかけたり失望されるのが怖い、ということも挙げられるかもしれません。
もしも仮に一生生きていけるほどお金があって、身近に文句を言う人もいなくて、周りも同じように「やりたくないことはやらない」と決めている人がいたとすればどうでしょうか。
おそらく多くの人が「やりたくないことを少しやめてみようかな」と考えるのでは無いでしょうか。
生活の保証があり、他人に白い目で見られること無く、親からも失望されない。
そんな状態であれば少なからず「少しくらい我慢しなくてもいいかな」と考えることが増えることでしょう。
しかし小さい頃から「やりたくないことも我慢してやることが素晴らしいこと」と教わってきたことが多いため、どうしても「やりたくないことをやらないなんてワガママ過ぎる、無理だ」と考えてしまいます。
やりたくないことはやめられないと思い込んでいる
やりたくないことをやり続けるしかないと考えている人は、「やりたくないことはやらなくていい」ということはありえないと『思い込んでいる』ことが多いでしょう。
もちろん少なからずやらなくてはならないこと、生活の最低限の行動などはやる必要がありますが少なくとも「人に合わせすぎたくない」「気の乗らない誘いに付き合いたくない」「仕事を断りたい」などと思っていることを実際にやめることができないと『思い込んで』います。
それは過去に親や身近な人に「ワガママを言ってはいけない」「勝手なことを言うと嫌いになる」「やりたくないことをやらないのはダメな子」といったことを言われたことを深く信じ込んでしまい、やりたくないことをやらない自分はダメなんだ、受け入れられないんだと大人になってからも信じているからです。
実際にやりたくないことをやめてみることをせずに「どうせ無理」「どうせ嫌われる」「どうせうまくいかない」と決め込んで諦めてしまっているのです。
過去に自分の好きなように振る舞って身近な人に見損なわれたり見捨てられそうになって怖かったことを、大人になってからも恐れているのです。
しかし、実際に「やりたくないことをやめてみる世界」に飛び込まない限りやりたくないことを続ける人生は続きますし、いつまでも「やめたいなぁ」「どうにかならないかなぁ」ともがき続けるだけになってしまいます。
やりたくないことを続けるメリットとは

やりたくないことを続けることにはどのような意味があるのでしょうか。
本当にやりたいことから目を背けられる
仮に今『やりたくないこと』を多く抱えているとして、そこにはいくつかの意味があります。
その1つが『本当にやりたいことをする恐ろしさから逃れられる』ということです。
「やりたいことをするのがなぜ怖いの?」と感じる人がいるかもしれませんが、『本当にやりたいことをする』ということには実は怖さがつきまとう部分があるのです。
それは、本当にやりたいことをやって失敗しないだろうか、路頭に迷わないだろうか、笑われないだろうか、無意味に終わらないだろうか、怒られないだろうか、嫌われないだろうか、批判されないだろうか、傷つかないだろうかといった『恐れ』です。
それに対してやりたくないことを我慢してやっていれば「やりたくないことに追われていて行動できないから仕方ない」「動けないんだから仕方ない」「時間がないから」「お金がないから」と理由をつけることができます。
やりたいことをやることについてくる『怖さ』よりも、やりたくないことを『我慢』する方がずっと楽で、傷つかずに済むので実際に行動に移さないのです。
やりたくないことに追われている人は、実はやりたいことをする恐れから逃れるために自ら好き好んで『やりたくないこと』を選択していることが多いのです。
実はとても楽しんでいる
やりたくない、やりたくないと言いながらも続けている人は実は心の底ではその状況を楽しんでいることもあります。
やりたくないような、困難な状況に立ち向かうのが好きで挑戦していることもあるでしょう。
そのような場合はやりたくないと言いつつもそこまでストレスを感じていないので問題なく続けられることもあります。
やりたくないことはやらなくていい生き方の始め方

やりたくないことはやらなくていいと言われても、実際にどうやって行動に移せば良いのか分からないことも多いはずです。
ここではどのような考え方・動き方が必要なのかをご紹介していきましょう。
やってもやらなくても自分は素晴らしいと考える
まず大前提として、「やりたくないことをやってもやらなくても、自分は素晴らしい、価値は何も変わらない」ということを言い聞かせ、覚えておきましょう。
目の前にあるやりたくないことをやってもやらなくても、自分の本質的な価値は何も変わりません。
我慢しても素晴らしいし、我慢せずにやめても素晴らしいのです。
やりたくないことも我慢してやることの方がやりたくないことをやめることよりも素晴らしいことなんだ、という思考を少しづつ外していきましょう。
もし仮にやりたくないことを実際にやめて誰かにバカにされたり失望されたり、あるいは傷ついたとしてもそれでも変わらず素晴らしい存在なんだということをしっかりと自分に言い聞かせることが大切です。
とにかく実践してみる
身も蓋もない話しですが、「やりたくないことはやらなくてもいいんだ」と言うことを知るためには実際に行動してみる他にありません。
頭の中で「やめてもいいんだ」という事を知っていても、実際に行動しなくては現実は変わりません。
実際に行動して「やらなくてもいいんだ」と実感することでしかどうしようもないのです。
いきなり大きなことをやめてみることに抵抗がある場合は小さなことからでも良いのでやめてみましょう。
誘いを断ったり、仕事を断ってみたり、少し休んでみたり、家事をサボってみたり。
その際に周りから批判されたりバカにされたりするかもしれませんが、大丈夫。
自分自身の価値は変わらず、素晴らしいままなんだということを覚えておきましょう。
本当にやりたいことをやってみる
やりたくないことをやめる、ということはやりたくないことをやらないということを「やりたい」ということです。
何かをやめる、ということをやりたい、ということです。
実際にやりたくないことをやめることができれば、それと同じように「やりたいこと」をやっていきましょう。
「できるわけがない」「時間がない」「お金がない」「どうせムダ」「まだ無理」と決めつけてしまう前に、「やりたいけど怖い」「勇気さえあればやりたい」と思うことに飛び込んでいきましょう。
やりたいことをするのに必要なのは、時間でも、お金でも、なんでもありません。
「やろう」と決断して行動する『勇気』や『覚悟』です。
そして、勇気や覚悟は準備できるものではなく、怖いまま、ビクビクしながらでも実際にやりたいことに飛び込んでみるとすでに『持っていた』ことに気づけます。
やりたいことをやるのに何かしらの理由を付けて躊躇しているままだとずっと怖いままです。
「いまだ!」と思えるタイミングがあればぜひ飛び込んでみましょう。
失敗しても、成功しても、自分の価値は素晴らしいままということを意識して飛び込んでみましょう。
自分の中の小さな本音を大切にする
やりたくないことをやめる、という時に自分がやりたくないことが何なのかが分かりづらくなってしまっていることがあります。
今までずっと我慢して自分を抑えて、見て見ぬふりをし続けてきた場合自分の中の本心が分かりづらくなってしまっているのです。
そんな時は普段の日常生活で我慢していること、ためらっていることに注目してみましょう。
「ホントはあれが食べたいんだけどなぁ」「ホントは休みたいんだけどなぁ」「ホントはあれが欲しいんだけどなぁ」という気持ち達です。
どんなに小さなことでも大切にしていくことで、自分の気持がどんどんはっきりと分かるようになっていきます。
無理になんでもかんでも頑張ろうとする必要はありませんが、日常で何気なく我慢してしまっていたり諦めてしまっているところを思い切って妥協せずに自分の気持ちを優先して行動してみましょう。
自分の中の小さな本音を大切にしていくことで自分のことをそのまま大切にすることにつながり、やりたくないことをやめる際にも自分の気持ちがわかりやすくなることでしょう。
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やりたくないことをやめることのメリットとは

やりたくないことをやめるということは、単に自分の気持ちを大切にするということ以上に様々な価値を持っています。
ストレス・怒りが軽減される
何よりも、ストレスが軽減されるというメリットが大きいでしょう。
やりたくないことをし続ける生き方とはつまり、『自分のことを大切にしない生き方』と同じです。
本当はやりたくないことがあるけど、仕方がない。
やりたくないけど我慢してやるしか無い。
そう感じて行動することは、自分の本心をないがしろにした生き方です。
やりたくないことをやらないということは、実はワガママに見えて『自分の気持ちを大切にする』『自分を大切にする』という意味を含んでいます。
無意識のうちに我慢している部分はまだしも、自分の心がはっきりと「やりたくない!」と叫んでいるのにも関わらず続けることは心の自傷行為と言っても過言ではないでしょう。
そんな行為をやめるので、ストレスが激減します。
また、自分が我慢していると相手に我慢を強要することに繋がったり、気に入らない相手がいると怒りをぶつけやすくなり常にイライラした状態に陥ることもあります。
我慢を続けることはストレスなだけでなく、長い目で見ると周囲の人にとってあまり良いこととは言えないでしょう。
身の回りの人や環境を信頼することにも繋がる
やりたくないことをやめる、ということは「自分以外の力を借りる」「自分には向いていないことを任せてみる」ということにも通じます。
今まで「どうせ自分がやらないといけない」「どうせ頼ることはできない」「自分一人でやるべき」と思い込んでなんでもかんでも一人でやっていたとすれば、それは良くも悪くも独りよがりになってしまっています。
勝手に自分一人でやらなくてはならないと思い込んでいる周りに、自分のことを助けてくれたり頼らせてくれる人はたくさんいるのです。
そしてそれは実際にやりたくないことをやめて人に甘えることで見えてくることでもあります。
やりたくないことを任せてみる、ということは周りの人を信頼して、環境を信頼してみるということでもあるのです。
やりたくないことをやめてみた時、それでも大丈夫、それでも世界が回る、それでも優しい人や豊かさがあると気付け、周りのあらゆるものに対する感謝と素晴らしさが見えてきます。
やりたくないことをやめるということはワガママに見えて、実はとても愛情を知るきっかけになったりもするのです。
自分ひとりでは成し得ないこともできるようになる
やりたくないことをやっている時は我慢して、辛い思いに耐えて、必死になって生きているので自分の本来のやりたいことに対する力も発揮できません。
やりたくないことをやめることによって自分の気持ちをやりたいことに向けることができるので生活もますます楽しくなりますし、周りにも愛情や感謝を感じます。
それと同時に自分一人で抱え込んで頑張っていたときとは違った『他力』を信頼した力を感じることもできるはずです。
自分一人でできることには限界があります。
他人を信頼することができれば、今まで考えられなかったような力が生まれるのです。
やりたいことに時間を割ける
やりたくないことをやめることはつまり、やりたいことを優先できるようになるということです。
時間やお金、人間関係や仕事、家族や他人の目を理由にして自分の気持を大切にできないままでいることよりも、多少傷つくことを覚悟でやりたいことをするのは大変気持ちの良いものです。
自分の気持を優先するということはあくまで自分自身に関する行為を優先するということであり、他人の気持ちや行動をコントロールするということではありません。
自分のやりたいこと、仕事、家族、趣味、買い物、挑戦、あらゆることに関して自分の気持ちを大切にすることは「生きること」そのものかもしれません。
やりたくないことはやらなくていい理由とは

ここまで紹介してきたことから、「やりたくないことはやらなくていい理由」を整理してみましょう。
自分と他人を大切にする行為である
やりたくないことをやらないというのは、単なるワガママではなく「自分を大切にする行為」であるからです。
そして、自分を大切にすることで気持ちに余裕が生まれたり周りの環境・人間関係・あらゆる当たり前にあるものに感謝できるようにもなるので、「他人を大切にする行為」にも繋がります。
我慢は「優しさ」にはならない
我慢は美徳、と思われがちですが実際は我慢は美徳どころか迷惑かもしれません。
自分の気持を抑えて他人を優先した挙句に文句や怒りを振りまいたり、仕方がないと言って自分のやりたいことをやれずにイライラすることに繋がるからです。
我慢とは、勝手に自分ひとりで抱え込まないといけないと思い込んで、勝手に自己犠牲の精神を持って、それを相手に押し付けてしまう行為になりかねないのです。
本当に優しいこととは、自分の気持ちを素直に表現して相手にやりたいこと・やりたくないことを伝えること、我慢してストレスをためるのではなくやりたいことを優先させてもらって周りに感謝を伝えられること、自分を大切にしつつ、相手を大切にするという行為のことではないでしょうか。
我慢したのに、我慢してあげたのに、我慢したせいで、と考えてイライラするようであればそれは優しさではなく単なる善意の押しつけでしかありません。
まとめ

「やりたくないことはやらなくていい」と言われても、実際に行動することは恐ろしい部分もあります。
誰かに批判されるかもしれないし、生活がうまくいかなくなるかもしれない。
嫌われるかもしれないし、取り返しがつかなくなるかもしれない。
しかし、やりたくないことを我慢し続ける人生には限界があることも確かです。
自分の気持ちに従わずに我慢し続ければストレスとなり、時には怒りとなって他人を攻撃したり自分を傷つけたり、病気になることもあります。
全てのやりたくないことをやめることが困難だとしても、自分の中に我慢の限界に近づいているものがあれば出来る限り早く手放してしまったほうが良いのです。
我慢をせずにやりたくないことをやめることで自分のことを大切にすることにつながり、ひいてはそれが他人を大切にすることにも繋がってくるからです。
もしためらっているのであれば、それはそれでしっかりと考えてみましょう。
足踏みしている自分を責める必要はありませんが、「本当にこのまま我慢したままで良いのか?」と考えてみましょう。
実際に踏み出せば、世界はとても優しいことに気付けるでしょう。
実際に踏み出すためには、『勇気』『覚悟』だけです。
その『勇気』や『覚悟』でさえ今は持てなくとも、その不安なままで踏み出してみれば自分には『勇気』も『覚悟』も備わっていることに気付けるのです。
全ては『一歩踏み出してみること』。
やりたくないことをやめてみる、そんな自分を大切にする生き方を実践してみてはいかがでしょうか。
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