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みなさまこんにちは、Hikoです。
おそらく多くの人が一度は陥ったことのある自分や他人や現実や将来のことを『受け入れられない』ということについて。
巷では「受け入れること」の大切さを説く書籍やブログ・方法論などが語られることが多いですが、
「受け入れることが大切なのは何となく分かるけど、やっぱりどうしても受け入れられないよ」と感じたことがあるのではないでしょうか。
そこで今回は、そもそも受け入れるってなんなのか、なぜ様々なことを受け入れられないのか、
どうやったら受け入れられるようになるのか、といったことについて触れていきたいと思います。
目次
受け入れるとは一体どういうこと?

何かを「受け入れる」。
漠然としていてなんだかよく分からないけど、なんだか良い感じがする。
そんな響きのある言葉ではないでしょうか。
確かに「受け入れる」ということができればいろんなことに対して思い悩むことも減りそうですし、ストレスを感じることが少なくもなりそうですよね。
そこでまずは「受け入れる」ということが何を指すのかを見ていきましょう。
自分を受け入れるとは?
「受け入れる問題」でおそらく一番むずかしいのは『自分を受け入れる』という行為ではないでしょうか。
自分の良さや悪さ、好きなこと嫌いなこと、やりたいことやりたくないことがあることを受け入れましょう、
という言葉はよく聞くかもしれませんがここで注意しなくてはならないのが極端な解釈。
何も『自分を受け入れる』というのは自分の好き嫌いや苦手を克服しよう、ということではありません。
むしろその逆で「自分の好き嫌いややりたくないことがあってもいいじゃないか」という一種の開き直りの状態のこと。
もちろん人間なんでもできたほうが良いと考えて克服したり弱点を補おうとすることもあると思いますが、
そもそも弱点や苦手分野の無い人間なんて存在するでしょうか?
自分の尊敬する人や好きな人、すごいと思う人だって苦手なことや嫌だと思うことはあります。
だけど自分はそんな人とは違って劣っているからなんでもかんでもできないとダメなんだと自分を卑下してしまって、
『自分を受け入れられない状態』に陥ることも多いのではないでしょうか。
つまり『自分を受け入れる』というのはその反対で、
「自分は周りの人と違うしできないこともあるけど良いか、なんでもかんでもできなくてもダメではないか」というスタンスでいられることなのです。
他者を受け入れるとは?
もう一つ大きなテーマは『他人を受け入れる』ということ。
こちらは分かりやすいかもしれませんが、「自分と違う他の人、その人の好き嫌いや癖、特徴があっても良いな」と感じられること。
自分を受け入れることの他者バージョンで、完璧ではない誰かがいても良いかと感じられるということですね。
現実を受け入れるとは?
そして『現実を受け入れる』ということも大きなテーマでは無いでしょうか。
今起きていることやこれまでやってきたことの積み重ねを「認める」ということ。
とても難しいことかもしれません。
見たくない現実やどうしても逃れたい現実だってあることと思います。
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なぜ受け入れられないの?

では人間はどうしていろんなことが『受け入れられない』と感じるのでしょうか。
自分が親や周囲の人に受け入れられてもらえなかったから
小さい頃から自分の思ったことや考え・意見・やりたいことを否定されたり許されたりしなかったことが多ければ、
大人になってから自分で自分を受け入れるという行為ができないことがあります。
多くの場合、我々は親や身近な人から人との接し方・向き合い方、そして自分自身との向き合い方を学ぶものです。
それが小さい頃から否定されたり受け入れてもらえなかった経験が多すぎると、
どうやって自分や人を受け入れたら良いのか、どうやって向き合ったら良いのか、
どんな気持ちで接していけば良いのかということがわからず深く悩んでしまいます。
もちろん受け入れることが正しいとか受け入れなくてはならないということではありませんが、
自分自身のことを受け入れられない・許せないというのは本当に辛い気持ちが大きいのではないでしょうか。
完璧主義すぎるから
自分のやることに完璧主義であれば自然とあらゆることへのジャッジが厳しくなり、
100点の物事ではない限りOKを出せないという心理状況に陥りがちです。
こちらも多くは自分自身が子供の頃から親や身近な人に「100点をとりなさい」「一番になりなさい」「なんでもかんでもできないとダメ」といったような教育方針のもと育てられれば、
自分自身の行動や他人の行動に対して完璧ではないとダメなんだ、という意識が強く根付いていることが多いでしょう。
実際は完璧にすることなどできず、どこかの側面から見ればほころびがあることがほとんどなのでどうしてもやることなすこと受け入れられない、といった状態になってしまうのです。
心理的に負担が大きすぎるから
そもそもの問題として、自分にとって手に負えないことである可能性があります。
例えば大切な人が亡くなったり友達に裏切られたり、恋人と別れることになったりなど。
自分にとって精神的にとても直視できないことで、向き合うと心が壊れてしまいそうになることなどは人間の防衛本能で自然と目をそらしたり避けたり、向き合うことをやめようとします。
受け入れなくてはならないと考えてしまっているから
受け入れるという行為に対してとても極端に崇高ななイメージを抱いてしまい、
それをできない自分はダメだ、受け入れなくてはならないと強迫観念におちいていることも多いでしょう。
しかしこれは「受け入れる」ということへの本質的な誤解をしてしまっており、
「受け入れなくてはならない」という考え方そのものが『自分を受け入れる』ということに反してしまいます。
『受け入れる』ということはいろんな感情や考え・やりたいことややりたくないことがあっても良いんじゃない?、
というスタンスでいることでありそれを無理やり「受け入れなくては!!!」と考えてしまっては本末転倒です。
つまり、「受け入れられないこともある」ということを『受け入れる』というスタンスがより楽な姿勢であると言えるでしょう。
どうやったら受け入れられるようになるの?

では上記のテーマを踏まえた上で、どうやったら自分のことや他人のこと、現実に起きていることを受け入れらるようになるのかを考えていきましょう。
受け入れなくては思考をやめる
「受け入れたいけど受け入れられない!」と悩んでいる場合の多くは受け入れることに義務感・責任感を感じてしまっていることがあります。
受け入れなくてはと考えることがそもそも自分の感情や考え方、意思や性格を無視したものになってしまい『受け入れる』ということから真逆の行為になってしまうのです。
「受け入れたい」と思うから「受け入れようとする」のであって、決して「受け入れなくてはならないから受け入れる」のではないことを意識しておきましょう。
受け入れられないときは無理をしてまで受け入れなくてはならないと考えることから一度離れてみるのです。
中途半端でもOKにする
受け入れられないと思い悩むのは、物事や人間を白黒・良し悪しでジャッジしようとしているからです。
人間や出来事は多面的なもので、自分と他人では感じることや判断する基準が異なります。
自分は良いと思っても他人からすると良くないと言われることもあることでしょう。
特に法律で決まっていないこと、世間の常識やマナー・ルールなどは誰かが決められるものではありませんし個々人で許容ラインというものが違います。
それを絶対的な基準があると思って判断しようとすると、そこから逸脱した自分や他人・物事は全部受けれられない!となってしまう恐れがあるのです。
自分はこう思うけど、それ以外の考えや判断もあるんだな、中途半端な基準もあるんだな、という意識を持って向き合ってみましょう。
受け入れられないことを受け入れる
受け入れなくてはならないという思考をやめるのと同じように、自分にはどうしても受け入れられないこともあることを認めることも大切です。
自分の好き嫌い、やりたくないこと、なんとなく違う、といった個々人にある感性を否定してまで無理に受け入れる必要はありません。
そして何より「自分には受け入れることはできない」ということを認めるように意識してみましょう。
そしてさらに言うと、「受け入れられないことを受け入れることができない」時にはそんなどうしても受け入れられない自分をどこまでも認めていくのです。
理想を叶えようとしなくても良いと考える
物事を受け入れられない場合、自分の理想や考えていたこと、思っていたことと違うことが起きてしまっていることも多いでしょう。
本当は自分はこうしたかったのに…、あれが良かったのに…、嫌だったのに…、など不本意なことが起きてしまいどうしても受け入れられないということがあるはずです。
完璧主義であったりなんでもできるようにしないとダメだと考えているとその傾向は強いと思いますが、
そんな時は理想通り・想像通りでなくてもよいと意識しましょう。
特に理想や良いと思っていることは「世間一般」や「親」「常識的に考えて」理想とされていること、
良いとされていることが多くその理想から外れてしまい自分を責めて受け入れられない状態になってしまっていることがあります。
一般的に「理想」とされていることは自分自身がしたいこと・考えていること・好きなこととはまた別なのでそこから外れてしまっても問題は無いのです。
自分と他人は違うと意識する
他人のことを受け入れられない場合、自分の想像していた人と違った・意見が違った・嫌なことをされたことがきっかけではないでしょうか。
しかしながら前述したとおり自分と他人の判断基準や価値観というものは根本的に異なるものです。
自分はこう思い、他人はこう思う、ということは『当たり前のこと』という前提で、
それでも価値観や考え方・楽しいと感じるポイントなどが一致することがあれば良いなというスタンスを大切にしてみましょう。
自分と他人を全く同じ考え方をする人間として捉える必要は無いのです。
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まとめ

いかがでしたでしょうか。
自分を受け入れる・他人を受け入れる・現実を受け入れる、というのは多くの人が悩んでぶつかることだと思います。
そんな時は何よりも、
・受け入れられなくてもいいときもある
・物事には絶対的な正解はなくてもいい
・完璧な自分でなくてはならないことはない
という考え方をするように意識してみて下さい(*^^*)
強迫観念や絶対こうなんだ、という前提があるとどうしても現実に思っていたことと違うことが起きた時に拒絶反応が出やすくなってしまいます。
完璧でなくてもよいのです。
自分も、他人も、現実も。
そもそも、完璧なものごととは何でしょうか。
完璧だと思っていることは異なる側面から見ると欠点や弱点とも思えることが潜んでいます。
しかし、自分が好きなことや良いと思っていることはそんなことは気にもならないのではないでしょうか。
物事や人も同じで、完璧なようで完璧ではない、でもそれが良い、それで良い。
むしろ不完全こそが完璧ではないのかと考えられると思います。
自分やあの人はあんなところがあって、こんなところがある。
そんな当たり前の違いを欠点だとして受け入れないのか、それとも当たり前に違うことなんだと捉えて受け入れるようになっていくのか。
そして大切なのは、受け入れることと受け入れないことのどちらが正解で、どちらが間違いということでもないということです。
正解はありません。
自分の好きな方、好きなこと、好きな考えをじっくり見つめていって見てくださいね(*^^*)
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