
誰かの役に立ちたいのに、役に立てない。
家族の役に立ちたいのに、役に立てない。
誰かの役に立ちたい、役に立とうとして行動することは、一見ただただ素晴らしいことのように思えます。
しかし同時に『役に立たなければならない』という思い込みをしていると、辛いのも事実です。
特に、自分は周りに比べて役に立たないからダメな人間だ、自分には何もできないから役に立たない、と自分を責め始めるととてつもなく息苦しくなってしまうことでしょう。
もし今、自分は役立たずだ、役に立てない、と自分の事を酷く責めている人がいるのならば、もう『役に立とう』『役に立たなければならない』という気持ちから行動するのをやめてみませんか。
もちろん、心の底から望んでの「役に立ちたい」という行動であれば良いのですが、義務感や責任感、あるいは罪悪感から役に立とうとして自分を追い詰めているのであれば、『役に立たなくてはならない』という生き方を変えていっても良いのではないでしょうか。
スポンサーリンク
目次
なぜ自分のことを役立たずと思うようになるのか

私達が生まれてきた時、赤ん坊のころに「役立たずでごめんなさい」と思いながら生きている子供はいたでしょうか。
もちろん確認のしようは無いのですが、おそらく泣いて、ご飯をもらって、笑って、世話をしてもらうこと自分のことを役立たずだとは感じていなかったのではないでしょうか。
逆に言えば、私たちは大きくなるに連れて大なり小なり、なんらかの罪悪感や責任感・義務感と言ったものを背負うようになり、いつの日か「役に立たなければならない」「恩返しをしなければならない」「役立たずな自分はダメなんだ」と思い込むようになっていったのです。
親や身近な人を怒らせたり泣かせてしまった罪悪感
「自分は役立たずでダメ人間だ」と強く責めている人は、自分の親に怒られたり泣かせてしまった記憶を強く持ち、自分はダメな奴なんだ、自分は身近な人を悲しませる人間なんだと思い込んでしまっている可能性があります。
親や身近な人は自分の行為や発言で悲しんだり、傷ついたりしていたかもしれませんが、その出来事と私達個々人の価値とは本質的には関係がありません。
どのような人でも悲しませることはありますし、反対にどのような人でも悲しんだり傷つくことがあるのです。
自分の過去の行いに対して強く罪悪感を抱き続けて、「あんなことをした自分だから、役に立たなくてはならない」「自分の身を犠牲にして生きなくてはならない」と思い込んでしまっていないでしょうか。
「役に立つ人間になりましょう」という自分への鎖
私たちは大人や学校で、人の役に立つ人間になりましょう、ということを教えられることが多いです。
もちろんそれ自体は素晴らしいことですし、誰かの役に立つ瞬間というのは心地の良いものでもあります。
しかし、だからといって「目に見えて役に立つことができない」ということがダメというワケではないのです。
私たちにはそれぞれ得意なこと、不得意なこと、好きなこと、嫌いなことというものがあります。
それらを無視して、なんでもかんでもできて、立派で、素晴らしくて、役に立つ人間になりましょう、というのは無理がありますし、そんな完璧な人間はいません。
大丈夫です。
私たちは、それぞれに、自然体でこなせることをやっていけばよいのです。
自分の心を殺しながら誰かに尽くさなくてはならない、誰かの役に立たなくてはならないということはないのです。
自分は役に立たない人間だと思い込んでいる
自分の心を押し殺して、我慢して、身を削って誰かの役に立とうとしなくても良いのです。
そして同時に、「自分は役に立たない人間だ」という思い込みをしていないかを考えてみましょう。
「誰かの役に立つ人間にならなくては」という考え方は、「自分は今のままでは役に立たない人間だ」と暗に自分に刷り込んでしまっているようなものです。
目立ってはいけないと考えている
自分のことを役立たずだと思い込んでいる人の中には、『自分の得意なこと』『自分の好きなこと』で力を発揮することを自ら抑え込んでしまっている可能性もあります。
昔、得意なことや好きなことで人よりも圧倒的にできてしまって、足並みを揃えなくてはならない、目立ってはいけないという罪悪感を背負ってあえて自分を抑えてしまったのです。
本当は得意なことやあっさりできてしまうことがあるにも関わらず、目立つことを避けなくてはならないと考えて、自分の不得意なことや嫌いなことをわざと抱え、知らず知らずのうちに役に立たない自分を演じてしまってはいないでしょうか。
役立たずな自分にうんざりした人に知ってほしい5つのこと

ではもし今「自分が役に立たない人間だ」と強く思い込んで、責めて、どうしようもない状態だと感じている人が「何かを変えたい」と思ったなら、どのように考えて行動していく必要があるのでしょうか。
生まれた瞬間に役に立っていたと信じて行動してみる
まず大前提として、「自分は何かをしなくては役に立たない人間だ」という思い込みから行動することをやめていきましょう。
つまり、「自分は特別な何かをしなくても、すでに、常に、役に立っている、役に立っていた」という所からスタートしてみるのです。
生まれた瞬間に、周りの人を笑顔にさせたという点で私たちはすでに大きな役目を果たしてきました。
そこから自分で自分のことをマイナスな存在だと思い込んで傷つけながら行動する必要はないのです。
とにかく、「自分は生まれた瞬間に役に立っていた」「存在しているだけで役に立ってたんだ」と考えながら行動するようにしてみましょう。
役に立つことより、やりたいことを優先してみる
自分はマイナスな存在で、役に立つことをしなければダメだという思い込みから始める行動の多くは「自分がやりたいこと」「自分がワクワクすること」よりも、「自分の身を削りながら働くこと」「イヤイヤでも役に立ちそうなことをすること」を優先してしまっています。
これからはそれらをやめて、すでに役に立っている自分なのだから「やりたいこと」「興味のあること」「ワクワクすること」を優先して行動してみましょう。
そして、自分のやりたいこと・ワクワクすることというのは人から頼まれずともどんどん行動してしまいますし、特に苦労とも感じずにやり続けることがほとんどです。
そんな自分のワクワク・やりたいことを追求してやっていくことこそが、気がつけば人から頼られたり役に立つようなことへと繋がっていくのです。
悲しかったことや苦しかったことを思いっきり吐き出す
自分のことを役立たずのダメ人間だと思い込んでいる時は本当に苦しいものです。
何のために生きているのか、何をすれば良いのか、どこに向かえば良いのかも分からないかもしれません。
そんな時は徹底的に気持ちを吐き出して良いのです。
ただし、『過去形』にして吐き出していきましょう。
「悲しかった」「辛かった」「苦しかった」「嫌だった」「悔しかった」「痛かった」。
過去の感情をきっちりと吐き出して、これまでの思い込みを捨てていくために『過去形』の気持ちとして表現し尽してみましょう。
イヤイヤやっていることを捨てても良い
役に立てない、役に立たないと思い込んでいる人は自らを知らず知らずのうちに不得意な場所・環境に追い込んでいることがあります。
自分が役に立たない人間だということを確認するためにあえて過酷な状況に置いてしまうのです。
そして逆に、自分の周りに自分が優越感を得るために「できない人」を作っていく人もいます。
それぞれの得意なこと、不得意なこと、やりたいこと、やりたくないことを任せたり任せられたりする所が歪で、逆で、快適に回っていかない環境を作り上げ、そこに自らを置いてしまっているのです。
もし今自分が快適ではなく、イヤイヤやっており、自分が気楽にやって存分に力を発揮できないことを抱えているのであれば思い切って捨てたり、他の人に任せてよいのです。
自分がワクワクしないことを抱えて『役に立たない自分』を演じている場合ではないのです。
そのような生き方は捨てていき、自分がワクワクすること、人よりも圧倒的にできてしまうことを進んでやっていきましょう。
役に立つことも、役に立たないことも自らが選んで良い
自分がやりたいことを選択していく時に覚えておきたいのが、必ずしも立派なこと、目立つことでなくても良いのです。
喋ること、接客すること、服をたたむこと、料理をすること、掃除をすること、片付けをすること、文章を書くこと、絵を描くこと、読書すること、話を聞くこと、食事を楽しむこと。
自分にとっては何でもないような好きなこと、得意なことは他の人にとっては信じられないほどの魅力や力なのです。
そして同時に大切なのが、「役に立ちたい」と思って行動しても、「今回は良いや」と思って何もせずにいても、どちらも良いのです。
どちらを選んでも、『素晴らしい存在』ということには変わらないのです。
スポンサーリンク
まとめ

「役に立たないといけない」「役立たずな自分は終わっている」と心の底で自分を責め続けている人が思った以上に多い世の中ではないでしょうか。
役に立つことというのは素晴らしいことですし、それぞれの力が存分に発揮されて相乗効果を生んでいく世界というのは素晴らしいものだと感じます。
しかしそれが義務になり、責任になり、罪悪感になり、生きていることが苦しくなってしまっては本末転倒です。
・やりたいことを優先してみる
・やりたくないことはやめたり、任せてみる
・自分はすでに、生まれた瞬間から役に立っていたと信じて行動してみる
・役に立たない自分を演じるのをやめて、思いっきりやりたいことで目立っても良い
・役に立つことも、役に立たないこともどちらも素晴らしい
自分が心の底からやりたいことをやって、それが自然と誰かの不得意なことややりたくないことを補い合い、回っていく。
同じように、自分がやりたくないことや気の乗らないことを得意な人ややりたい人に頼んだり任せていく。
罪悪感や義務感からではなく、自然と体が動いて、気がつけば役に立っていた。
そんな生き方があることを信じて行動してみませんか。
スポンサーリンク