
『自己憐憫』という感情に深く囚われたことはあるでしょうか。
自己憐憫(じこれんびん)とは自分のことを「かわいそうな人間」「あわれな人間」と考えて、「どうせ自分なんか」「自分は不幸だから何をしてもダメなんだ」と極端に自分ことをマイナスに捉えてしまう感情のことです。
自分のことを「あわれな人生をおくる人間だ」と考えるような自己憐憫ですが、この感情を深く・強く抱いてしまうととても悲観的になったりマイナスに物事を捉えてしまうため、日常生活にも支障を及ぼしてしまうことがあります。
人間ですから多少悲観的になったり哀れだな、と感じることがあるかもしれませんが極端に行き過ぎることは避けたいものです。
今回はそんな「自己憐憫」の感情には一体どのような心理や特徴・原因があり、そしてその克服法はどのようなものがあるのかをご紹介していきたいと思います。
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自己憐憫に陥る人の心理・特徴とは?

自己憐憫の感情に陥ってしまう人にはどのような心理・特徴があるのでしょうか。
認めて欲しい・許して欲しいという気持ちが強い
自己憐憫に陥る人は「かわいそうな自分だから許して欲しい」「かわいそうな自分に優しくして欲しい」という気持ちが根深く存在していることがあります。
自分自身では自分のことを認めたり受け入れることができないので、他の誰かに弱さや哀れさをアピールすることで「なんてかわいそうな人間なんだ」と思ってもらい、優しくしてほしくなるのです。
なんでも悲観的に捉えてしまう
自己憐憫の感情が強い人は物事を極端に悲観的に捉えてしまう傾向があります。
少しでも悲しいこと・苦しいことがあると「自分のせいだ…」「自分が悪い人間だからだ…」と考えてしまうのです。
小さなことでも悲観的に捉えてしまうので日常的に感情が不安定になりやすいですし、ネガティブな出来事に対してとても敏感である種「被害妄想」を持ちやすい部分も持っているのです。
自己憐憫に陥る原因は?
自己憐憫に陥るのは、「自分はかわいそうだ」と感じるきっかけがあったということ。
そのきっかけの多くは幼少期・家庭環境にあると考えられます。
特に親や身近な人から褒められたり認めてもらう経験が不足していたりすると「自分は褒められない存在なんだ」「認められない存在なんだ」と自己認識してしまい、事あるごとに「自分なんか」「どうせ自分なんて」と感じやすくなります。
複雑な家庭環境であったり幼少期に悲しい経験をしたことがきっかけとなって「自分はかわいそうな生まれだからずっとかわいそうな人生なんだ」と半ばあきらめたように生活してしまい、自ら哀れな生活を送ってしまうこともあるのです。
小さい頃に経験したこと・見聞きしたことで間違った自己認識をしている
幼少期に経験したこと・聞いたことの多くを過剰なイメージで記憶してしまっていたり、感傷的なイメージで捉えてしまっていることがあります。
小さいころに怒られたり認めてもらえないような出来事があるとそれだけで絶望的な気分になってしまいます。
子供にとって親や身近な大人の意見・態度は自分の存在価値を確認するための大きな要因となっており、そこで少しでも傷つくと過剰に自分のことを責めてしまい「どうせ自分なんか」という気持ちに浸ってしまうのです。
また、親があまりにも悲観的すぎたりマイナス思考を振りまいていると子供は「自分の家族はかわいそうなんだ」「自分の人生もかわいそうなんだ」と考えてしまい、自己憐憫に陥りやすい思考になってしまうのです。
これらは親や大人が悪い、ということではなく「思い込んでしまった」ということが大切なポイントでもあります。
子供の頃に経験したことや見聞きしたことをきっかけに「自分はかわいそう」「自分はダメ」と思い込んでしまったために自然と自己憐憫に陥りやすくなってしまっているので、「自分はかわいそう」という思い込みを解消していく必要があるのです。
自己憐憫の怖さとは
自己憐憫は「自分は哀れだ」「自分はなんて悲しい生い立ちなんだろう」と一種の悲劇のヒーロー・ヒロインのように振る舞う感情のことですが、そこにはとても怖い一面も隠されています。
それは「自己憐憫」の感情に依存してしまったり、自己憐憫に陥りたいがためにあえて悲しいと思うことをやったり辛いことに取り組もうとすることがあるという部分です。
人間誰しも悲しい出来事・辛い出来事に直面することはあるものですが、自己憐憫の感情が強い人は「自分はかわいそうな人間だから」と自ら不幸になるような出来事ばかりを選び取っていくのです。
自分がかわいそうな人間であることを確認したいがために自ら辛く悲しい出来事を選んでしまうのです。
また、自己憐憫に依存的になって「悲劇のヒーロー・ヒロイン」を演じることが癖になってしまっていることもあります。
いつでも楽しく生きることができるのに自らチャンスや楽しいことを踏み潰してまであえて「悲しいなぁ」と感じるような出来事に突っ込んでいくようになってしまうことが「自己憐憫」の怖さでもあります。
自己憐憫の克服方法とは?

では自己憐憫の感情を克服するにはどうしたら良いのでしょうか。
自己憐憫に陥っていることに気付こう
まず大切なのは、自分自身が「自己憐憫」の感情に浸っていることに気づくことが大切です。
感傷的な気持ちになったり辛くなったりすることは自然なことでもありますが、そこから抜け出せなくなったり依存的に感傷的な気持ちに浸ってしまうとなんでもマイナス思考な捉え方になったり、物事に取り組むことができなくなってしまいます。
それを少しでも改善するためには「あぁ、今自分はとても感傷的になっているな」「自分のことを極端にかわいそうな人間だと思いすぎているな」と客観的に気づいてみましょう。
無理に「元気を出そう!」「感傷的になるのはよそう!」と感情を押さえつける必要はなく、ただ感じ取るだけで良いのです。
客観的に感じ取るだけの行為は自分の自然な気持ちを肯定的に受け止めることに繋がるので、感傷的なったり自己憐憫に陥っている気持ちを少しでも和らげることができます。
ポジティブな「どうせ」を使ってみよう
自己憐憫に陥ってる人の多くは「どうせ自分なんか…」「どうせ無理なんだ…」「どうせ弱いんだ…」というネガティブな「どうせ」を多用してしまいます。
言葉の力は強いもので、無意識に発したり考えた言葉がそのまま自分の生き方・考え方に染み付いてしまいます。
「どうせ自分なんか…」という言葉を多用しているとネガティブな出来事・現実に出会うことが増えてしまい、また良いことが起きても「どうせ自分にはふさわしくない」と勝手にネガティブに受け取ったりします。
これを改善するためには「どうせ」という言葉をポジティブに用いてみることをオススメします。
「どうせ自分なんか」と言っていたところを「どうせ自分は素晴らしいんだ」と言った風にプラスな「どうせ」を使ってみましょう。
ポジティブな「どうせ」を使っているとそれだけでも自分の生き方・考え方に反映されてきて、「どうせ自分にはできるんだ」「どうせうまくいくんだ」と自己憐憫とは反対の気持ちへと向かっていくことができるのです。
自分はかわいそうな人間ではないことに気付こう
自己憐憫の感情が強い人は「過去に辛い目にあったから」「昔かわいそうな生い立ちだったから」ということを理由に、大人になってからも自らを「かわいそうな人間」「哀れな人間」という立場に押しとどめてしまっています。
過去に辛く悲しい出来事があったとしても、それが理由で「自分自身はかわいそうな人間だ」と考えるのをやめてみましょう。
過去の出来事・経験・気持ちと今の自分自身の存在価値は直結しません。
昔悲しくてかわいそうだと感じる出来事があったとしても今もずっと「かわいそうだと感じる出来事」に浸っていなくても良いのです。
過去に経験したことは確かに悲しいこと・辛いことがあったかもしれませんが、それは自分自身の価値とはなんら関係がないのです。
幼いころに「辛い目にあったからこの先もずっと辛いままなんだ」と勘違いしてしまっただけなのです。
その思い込みが今の自分を「かわいそうな人間」に押しとどめてしまっていつまでも暗く悲しい出来事を選ぶようになってしまっているだけなのです。
どのような出来事があったとしても「自分はダメな存在」「自分は価値がない」ということはないのです。
これまでずっと「自分は悲劇に見舞われ続けているから」と自己憐憫に浸り続けてきた人は、『もしかしたら、自分はかわいそうな人間ではないのかも』と自分に問いかけてみましょう。
「自分は幸せだったのかも」「親も幸せだったのかも」と問いかけ、言い聞かせていくことで自分はかわいそうな人間だという思い込みが解けていき、自分の過去も「もしかしたら幸せなこともあったかも」「もしかしたら良かったのかも」と肯定的に受け止められるようになり自己憐憫が和らぐことでしょう。
「自分はかわいそうな人間ではないのかも」と感がてみることが克服のきっかけになるのです。
やりたいことをして、たりたくないことをやめてみよう
自己憐憫を克服するには、自分の人生を楽しむことも大切です。
そのためには「やりたいことをする」「やりたくないことをやめる」の2つを実践していく必要があります。
「どうせ自分なんか…」と考えている間は人生も暗く重々しいものになってしまいますが、自分がしたいことをしてやりたくないことをやめることができるようになれば、
「自分は自分の人生を楽しめるんだ」「自分にもできるんだ」と自分の人生を明るいものだと認識できるようになります。
いままで「どうせ無理なんだ」と諦めていた人生を自分の望む方向に向けることができれば自己憐憫も少なくなりよりポジティブな感情が増えることになるでしょう。
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自己憐憫に囚われている人との付き合い方とは?

自分自身は自己憐憫の感情が強くなくとも、周囲に自己憐憫に浸りやすい人がいるかもしれません。
そのような人とはどのように付き合うのが良いのでしょうか。
必要以上に踏み込まない
自己憐憫に陥ってる人と付き合う際には、必要以上に踏み込んだりなんとかしてあげようとしないことが大切です。
もちろん自分ができる範囲で話しを聞いたり手伝う事は大切ですが、自己憐憫に浸っている人を自分の手で助けようとしてもうまくいかないことが多く、かえって依存関係に陥ってしまうこともあります。
自己憐憫に陥ってる時はその人自身が「極端に自己憐憫に浸っていたな」と気づくことができない限り何度でも「かわいそうなんだ」「辛いんだ」という感情を振りまきます。
外部からの手助けや声は届きにくく、踏み込みすぎると振り回されてしまったり自分までネガティブな思考に陥ってしまいます。
適度な距離感を持って話を聞いたりして、自己憐憫から回復するまで待ってあげましょう。
肯定的に話を聞き、受け入れる姿勢でいよう
身近に自己憐憫の感情が強い人がいる場合は話を受け入れる姿勢で聞いてみましょう。
「そうなんだ」「辛かったんだね」と気持ちを受け止めてあげることで相手の気持ちが落ち着き、必要以上に自己憐憫に陥ることも減るでしょう。
まとめ

自己憐憫に陥ることは悪いことではありません。
誰しも自分のことを哀れんでしまったりマイナスな感情に浸ってしまうことはあるものです。
しかしながら自己憐憫の感情に浸りすぎてそこに依存しすぎるような状況に陥ってしまうと、「自分はかわいそうな人間だ」と感じるための状況を引き寄せたり何もできなくなってしまうことがあります。
自己憐憫とは一種の「拗ね」のようなものでもあります。
「どうせ自分なんか…」「どうせ無理なんだ…」と過去にあった出来事や経験を元に今も自分を押さえつけたり、拗ねながら諦めているようなものなのです。
その自己憐憫は過去にできなかった・傷ついたことがしこりとなって起きていますが、それらは少しづつでも克服することができます。
・自己憐憫に浸っていることに気づくこと
・「どうせすばらしい」とポジティブな「どうせ」を使ってみる
・「自分はかわいそうな人間じゃないのかも」と問いかけてみる
・やりたいことをして、やりたくないことをやめる
の4つを繰り返し実践していくことです。
1つ1つは当たり前のように見えて、とても勇気が必要で、とても気持ちの良いものです。
自分の思い込みが「かわいそうな自分」を作り上げていることに気づくことができれば今すぐにでも「すばらしい自分」に変わることでしょう。
自分の思い込みを疑って、自己憐憫を克服し、新たな気持で過ごすことができればとても楽しい毎日が待っているかもしれません(*^^*)
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