立派な人に、なれなかった。そんな自分を責めている人へ。

Hiko
こんにちは、Hikoです。

 

将来の夢はなんですか?

将来どんな人になりたいですか?

 

そんな問いに対する答えを、私たちは一度くらいは求められたことがあるのではないでしょうか。

 

本当に小さなころは特に何も考えず、ただただ自分のなりたいもの、自分が好きなものを答えていたかもしれません。

 

それがいつの日にか、「現実を見て、もっと立派な人物にならなくてはならない」「人に迷惑をかけない、人から賞賛される、立派な人間にならなくちゃ」と思い始めた人もいるのではないでしょうか。

 

そんな思いが大きくなり、勉強して、良い大学に入り、良い企業に入り、結婚して、子供を持って、周りから尊敬されるような社会人になって、親孝行して、年老いて…。

 

もちろんその生き方を自分が心の底から望むものであれば良いのです。

実際、素晴らしい生き方ですし、温かい人生です。

 

しかし同時に、「自分はそうなれなかったからダメなやつ」「自分は親や人から認められるような立派な人間になれなかった」「もうどうだっていい」「立派な人間と言われるような生き方をしないとダメなんだ」と強く自分を責め立てている人がいるとすれば、知っておいて欲しいこともあります。

 

それは、「いわゆる、立派な、人から認められるような生き方を選べなくても良い」ということです。

 

そしてそれは決して自暴自棄になるということではなく、「自分が心から望む生き方をしてもいい、批判されるかもしれないけど自分が本当にやりたいことをやる生き方を選んでも良い、みんなとは違うかもしれないけど自分なりの幸せを選んでも良い、どんな生き方を選んでもいい」ということなのです。

 

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立派な人になれないことを悩むのはなぜ?

立派な人になりたい、立派な人にならなくてはと思うのは誰もにあることかもしれませんが、そもそもなぜ「立派な人になれない!」という悩みを抱え始めるのでしょうか。

 

親に嫌われる、愛してもらえないと感じるから

立派な人になれない、立派な人になれなかったことを深く後悔し、悩み、苦しむことの多くのきっかけは『親の存在』があることでしょう。

 

それは親のせい、というわけではなく、小さい頃に「いい子にしていないと嫌われる」「立派な人にならないと怒られる」という思い込みをしてしまった可能性がある、ということです。

 

「親の喜びそうな人」にならなくては、という思い込みや罪悪感で自分を縛り付けてしまい、「親の期待に添えそうにないこと」「親の求めることに従えないこと」をいつしか「自分は罪人だ」という考えに変化させてしまったのです。

 

自分が求めているものではないから

立派な人というのはおそらく誰もが「立派だ」「素晴らしい」と感じるような姿の人のことでしょう。

 

しかし、だからといってその姿が必ずしも『自分の求める姿』『自分がやりたいこと』とは限りません。

いえ、多くの人にとって型にはめられたような「立派な人」というのは窮屈なものと感じるのではないでしょうか。

 

なぜならそれは、自分自身ではなく、「どこかの知らない誰か」「自分ではない誰か」になれと言われているようなものだからです。

 

自分を消して、「誰かが言っていた立派な人の像」に当てはめなくてはならない生き方は少なからず息苦しいものなのではないでしょうか。

 

 

立派じゃない”あの人”みたいになってはいけないと考えているから

立派にならなくてはと考えている人の中には、「親みたいになりたくないから」「あんな人みたいになりたくないから」立派になろうとしている人もいるかもしれません。

 

身の回りにいる「立派じゃないと思う人」になるわけにはいかないという思いが、自分を追い込んでしまっている人もいることでしょう。

 

そして同時に、大嫌いな、苦手な、絶対になりたくないと思うような人みたいになっている自分のことが憎くて、嫌で、自暴自棄になってしまっているかもしれません。

 

立派な人ってどんな人?

では『立派な人』というのは一体どのような人のことを指すのでしょうか?

 

高身長?高収入?高学歴?

どれもあれば楽しいし、選択肢も広がることがあるかもしれませんが一概にそうとは言えないのではないでしょうか。

 

いわゆる歴史に名を残すような立派な人でも、必ず他人から求められそうな要素を全て満たしていたかというとそうではないでしょう。

 

聞き分けの良い人?

親や世間から求められたことをこなし、全て聞き入れ、全てこなせる人のことを立派な人というのでしょうか?

 

確かに人の頼みや願いを聞き入れ、叶えることは素晴らしいことのように感じますが、ではそうでない人は立派な人ではないのでしょうか?

 

この世界にそんな『完璧な立派な人』は一体どれだけいるでしょうか?

 

他人に迷惑をかけない、常識的で、優しい、世間体の良い人?

おそらく多くの人が悩み、落ち込み、自分を責めてしまうきっかけとなる『立派な人の理想像』はここにあるのではないでしょうか。

 

他人に迷惑をかけない。常識的である。優しい。お金をそこそこ持っている。世間体が良い。親に認められている。

 

どこかで誰かから聞いたような『理想像』になれなかったことを悔い、責め、自分を否定してしまってはいないでしょうか。

 

あるいは、「親の求める自分になれなかったこと」「親を超えられないこと」を責めたり、反対に「親のようなひどい人間にはならない」「親みたいに、嫌なアイツみたいにはならない」と固く決意したのに思い通りの自分になれなかったことを責めてはいないでしょうか。

 

 

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立派な人になれなかったことを責めている人に知ってほしいこと

立派な人になれなかったことを悔い、責め、自暴自棄になっている人は、徹底的に自分を責める時期も必要なのかもしれません。

 

それは、「自分が本当にしたいこと」「本当の自分の気持ちに気づくきっかけ」となっているからかもしれないからです。

 

立派な人にならなくては、が自己否定の始まりになる

もし今「立派な人にならなくては」「立派な人になれない」という気持ちを大きく抱いているとすれば、そしてそれが自分のやりたいことではないと感じているのであれば、「立派な人にならなくては」という気持ちはとてもネガティブな方向に向いてしまっていることでしょう。

 

立派な人にならなくては、ということはつまり「自分は素晴らしくない」「自分はダメだ」「自分は自分のままでいてはいけないんだ」という自己否定・マイナスの自己暗示をかけてしまっているようなものなのです。

 

立派な人になることではなく、自分のやりたいことを大切にしてもいい

立派な人になることをイメージできて、それがとてもワクワクして、楽しいことであればそこへ向かっていけば良いのです。

 

それが自分のやりたいこと、自分の好きなことだからです。

 

しかしもし「立派な人にならなくては」「立派な人になれない」と苦しんでいるのであれば、ここからは「ワクワクすること」「なんとなくやってみたいこと」を指針にして行動してみましょう。

 

自分の中の「やってみたい」「好きだ」「ワクワクする」「面白そう」という気持ちは、そこへ向かっていくだけでも自分を大切にすることに繋がっていきます。

 

そして「立派な人にならなくては」という行動ではなく、「なんか良いなぁ」と思って行動するということは、『特別な何かをしなくてもすでに素晴らしかった自分』に気付くきっかけにもなります。

 

自己否定の嵐の中から、少しでも自分を大切にする気持ちの中に入ってみませんか。

 

 

一番キライな、なりたくない人になってもいい

立派な人にならなくてはならない、立派な人になれない自分が大嫌いだと感じている人の中には、「あんな大嫌いな親みたいになるわけにはいかない」「あんな最悪な大人になるわけにはいかないんだ」「あんな人みたいになりたくない」という気持ちから自分の行動を決めてしまっている人もいるかもしれません。

 

そのような人は「あの人みたいになってはいけない」という鎖で、自分自身をつなぎ、自分自身の気持ちを鈍らせ、自分自身を抑圧してしまっています。

その抑圧は、嫌いな人、苦手な人、ムカつく人、絶対になりたくないような人を見た時に怒りや憎しみ、悲しみなどの気持ちとなって溢れ出てくるのです。

 

「自分はあんな人になるわけにはいかない」「あんな人になりたくない」という気持ちから行動することは、一見自分の指針になっているように見えますが、自分の人生を息苦しくしてしまっている要因になってしまうものでもあるのです。

 

これからは、「あの人みたいになってもいい」「あの嫌いな、大嫌いな、憎い、あの人みたいになってもいい」という言葉と「あの人みたいにならなくてもいい」「大嫌いなあの人みたいな生き方をしなくてもいい」という両方の言葉を自分に与えていきましょう。

 

目の前の苦手な人や嫌いな人は、自分とは違った考え方を持っていたり、違う感性を持っているのです。

自分にはできないようなことができる人もいることでしょう。

 

そのような人の生き方を自分にも許していくことで、自分の中から抑圧の鎖が消えていきます。

 

そしてこれからは、自分の意志で「あの人達とは違った、自分が思う生き方をしよう」と決めていけば良いのです。

 

自分が自分であることを、優先してもいい

立派な人にならなくてはならない、立派な人になれない、と悩んでいた人はこれから、自分自身に「自分の生き方」を許していきましょう。

 

他の誰かが言う生き方や、他の誰かに強制された生き方、自分では無い誰かになろうとするような生き方はもう、手放しても良いのです。

 

自分が自分であるということを、優先して、尊重して生きても良いのです。

 

好きで、嫌いで、クソで、立派で、情けなくて、素晴らしい自分を選んでもいい

立派な人にならなくても良い、という言葉をそのまま受け止めると、「自分はダメだ」「自分は素晴らしくない」という思い込みに走ってしまうことがあります。

 

これからは、「立派でも良い」「そうでなくてもいい」「すごくてもいい」「すごくなくてもいい」「役に立っても良い」「役に立たなくても良い」「お金持ちになってもいい」「お金持ちにならなくてもいい」という、全ての方向に『良いんだ』という言葉を投げかけてみましょう。

 

「お金を受け取っても良い」「あの嫌いな人みたいになってもいい」「親のような人間になってもいい」「いじめっ子みたいになってもいい」「尊敬するあの人のようになってもいい」「好きな人と一緒にいてもいい」「何をしても、何を選んでも良い」。

 

どのような自分を選んでも、どのような生き方を選んでも、良い。

その言葉をしっかりと自分自身にかけてあげましょう。

 

そして同時に、『自分は、自分を信じて生きてみても良い』『自分の中のやりたい、やりたくないという気持ちに従っても良い』という言葉を、『自分という人間を生きても良い』という言葉を染み込ませていきましょう。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

「立派な人にならなくては」「立派な人になれない」と深く思い悩み、苦しみ、自己否定の嵐の中に居る人の多くは、「素の自分のままでも大丈夫」ということを見逃してしまっています。

 

「自分を生きる」ことをやめて、「立派な誰か」になろうとするからとても苦しいのです。

 

そんなことをしなくとも、素晴らしいのです。

 

・立派な人になることよりも、自分の「好き」「やりたい」を優先してみる。

・自分が一番なりたくない人みたいになっても良い、と声をかけてみる。

・立派な人になっても良いし、ならなくても良い。自分で選んで、良い。

 

自分を責めているのであれば、とことん責めてもよいのです。

その後に、感じてみましょう。

 

自分が、どうありたいのか。

どうしたいのか。

何をしてみたいのか。

どうなりたくないのか。

何を恐れているのか。

 

そして少しでも、やってみたいこと、やりたくないこと、好きなこと、嫌いなこと、自分の中にある『本音』に従って行動してみましょう。

 

自分は立派になってもいいし、ならなくてもいい。

絶対になりたくないような人間になってもいいし、ならなくてもいい。

 

自分のやりたいことをやってもいいし、やらなくてもいい。

 

自分の気持ちに従って行動し始めた時、自分がすでに『素晴らしい存在であった』ということに気付けます。

立派になろうとしなくても、十分過ぎる魅力的な存在なのです。

 

「自分が、自分を生きる」ということがそのまま、素晴らしいことなのです。

 

 

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