あなたには今、どうしても許せない人はいますか?
どうしてもムカつく、どうしても許せない、どうしても怒りが湧く。
そんな感情にはまり込み、自分で嫌悪感を抱きつつもどうしても気持ちが晴れなくて困っている時もあるかもしれません。
今回は、そんな『どうしても許せない人がいる』という気持ちを少しでも軽くするにはどうするのかについて考えていきましょう。
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目次
どうしても許せない人は、許せなくてもいい

まず初めに、どうしても、どうしても憎しみや怒り、悲しみや腹立たしさが収まらず、許せないという状況にあるのであれば無理に許そうとしなくても良いのです。
許さなくては、が自分も他人も苦しめる
人を許せる、自分を許せるというのはやはり理想的ですし、気持ちの良いものです。
しかしながら、そうはいっても人間の心は思い通りにはいかないものです。
どのような出来事でも怒りや憎しみの渦中にいれば許せないという気持ちは自然と湧いてくるものなのです。
それを無理矢理に押し込めて「許そう」「許そう」としても簡単にはいきません。
何よりも、「許せない」という本心を無視して「許そう」「許さなきゃ」という気持ちを持ちすぎると他人や何かを許せない自分を責めていくことになるのです。
どんどん息苦しくなり、その息苦しさから再び人を許せない気持ちに拍車がかかることもあります。
「今は」許せないだけなんだ
人を許せないことで悩むのは、何よりも、心から、「許したいから」なのです。
許したい、許したい。
それでも、許せない。
だから、苦しくなるのです。
そんな時は、「今は、許せない」という気持ちを持っても良いのです。
いつか、きっと。
自分の気持ちが、怒りが、恨みが、くすぶった気持ちが収まって、解けていって、知らないうちに「もういっか」という気持ちになるまで怒って、憎んで、許さずにいても良いのです。
許せないのはなぜですか?

人によって千差万別ですし、状況も全て異なります。
その上で、今、自分がどうしても許せない人の、何が、どこが許せないのでしょうか。
自分が自分に禁止していることをやっているから
往々にして、私たちは自分の中にある「ルール」に反した人を見たり触れ合ったりすると許せなくなります。
私は我慢しているのに、なんであいつは。
私はやっているのに、なんであいつはやらないんだ。
本当は自分ももっと自由に、気楽に、縛られず生きていたいのを我慢して生活しているのに、あの人はそんなルールお構いなしに生きている。
それが許せない。
常識や教えられてきたことに縛られすぎている
自分の中に「ルール」「べき」「しなくては」という思い込みが多すぎると、それに自分の本心が縛られ、そしてそれを無視する人のことが許せなくなっていきます。
もちろん、常識やルール、教えられてきたことは正しいことがたくさんあることでしょう。
しかし、もし、それらが自分の心を苦しめているのであれば一度、そのルールを破ってみることも一つの手なのです。
あの、許せない人と同じようなことをしても良い。
ルールや常識、教えられてきたことを破って、自分の心に従って行動してみても良い。
そのような許可を出してみると、自分が一体何を許せないのかが見えてくるかもしれません。
愛されていないと感じたから
自分が思っていたような行動や反応をしてくれなかったから自分は愛されていないんだ、という気持ちから「許せない!」という気持ちに発展することもあるでしょう。
自分はこれだけ頑張っているのに、話しているのに、どうしても相手が思い通りに動いてくれず、愛されていないように感じた。
だから、許せない!
そんな気持ちに変わっていくこともあることでしょう。
そして、愛されていないと感じたという事以外にも「分かり合えなかった」「仲良くなれなかった」、「本当は怒りたくなかった」「本当はもっと話したいことがあった」といった気持ちもあるかもしれません。
そもそも、どうあがいても苦手な人であることも
許せない人の中には、どうあがいても好きになれない人というのも含まれているかもしれません。
それはどちらが悪いということではなく、当たり前の感情なのです。
どうしても受け付けない人、好きになれない人が居ても良いのです。
許さなくては、好きにならなくては、受け入れなくては、といった縛りを少しでも外していくことが自分の気持を軽くするヒントになるかもしれません。
許せない人がいる時はどうすれば良いの?

では今、どうしても許せない人がいる場合はどのような考え方をしてみることが効果的なのでしょうか。
許せない自分を許していく
許せない時は許せない、それで良いと考えていきましょう。
自分自身に、「許せなくていいんだ」「許せないよな」と声をかけてあげるだけでも良いのです。
まず何よりも、今の自分自身の気持ちを許してみましょう。
そして、許せない自分を許せない、ということまで許して良いのです。
自分にありとあらゆる許可を出してみる
自分自身の行動や考え方にありとあらゆる許可を出してみましょう。
相手にキレてもいい、ムカついても良い、殴っても良い、喧嘩しても良い、笑っても良い、泣いても良い、愛していると言っても良い、怒られても良い、素晴らしくていい、失敗しても良い、やりたいことをやってもいい、やめたいことをやめてもいい。
人によってそれぞれ、自分の中にどのような思い込みやルールがあるかは分かりません。
自分自身が一体相手の何を許せないのかを見つめてみると、自分で自分に貼り付けたルールに気付けるかもしれません。
そして、実際に自分に貼り付けたルールに気づけたら、そのまま行動しても良いのです。
怒ってみる、頼ってみる、泣いてみる、笑ってみる、頑張ってみる、活躍してみる、引きこもってみる、遊んでみる、休んでみる、仕事をしてみる、言ってみる。
少しづつ、少しづつ、自分のルールを外して、自分を許してみましょう。
すると知らぬ間に、許せない人のことを許せてしまうかもしれません。
過去の経験を探ってみる
許せないのは、もしかしたら自分の過去の出来事かもしれません。
過去に親にあんなことをされた、友達にあんなことを言われた、許せなかった。
そんな気持ちが残り続けているかもしれません。
本当は、優しくしてほしかった、本当は、許してほしかった、本当は、もういいよって言って欲しかった、本当は、怒ってもいいと言ってほしかった、本当は、好きだと言いたかった。
ずっと心残りにしていたことに気付いていき、自分にゴメンと言ってみて、ありがとうと言ってみて、過去を少しづつ消化していくことも一つのポイントです。
自分で自分のことを許すと、ほぐれていく
どうしても許せない人がいる時は、何よりも無理をして許そうとしなくても良いのです。
それが親や子供、友人や恋人、先生や上司、どのような人間関係であってもです。
おそらく小さい頃から「人を許しましょう」「許しなさい」「許すべき」ということを教わってきたことでしょう。
私もそうです。
しかし、その「べき」に縛られすぎて自分が苦しんでいては本末転倒です。
許せない時は、許せない。
けど、自分の中の「べき」に気づいていくといつの間にか許していた。
それで良いのです。
私たちは、愛しているし愛されている
許せないのは、愛が強いからこそかもしれません。
こんなに、愛しているのに。
こんなに、愛されていると思っていたのに。
お互いに、愛情があるからこそややこしくなることもあります。
愛情表現の違いから、許す・許せないの話につながってしまう事があるでしょう。
それでもなお、頭の片隅に置いておきたいのは、「私たちは、愛されている」「私たちは、人を愛している」ということです。
愛しているからこそ、愛されているからこそ、許したいし、許せなくなるのです。
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まとめ

今現在、どうしても許せない人がいる時は、
・そもそもどうしても受け付けない人である。
・「今はまだ」許せないだけ。
・今は許せなくても良い。
・自分が自分に禁止していること、自分が恐れていることは何だろうか。
といったことに焦点を当ててみてはいかがでしょうか。
そしてもう一つの視点として、
「もし、この先近いうちに許せない人と一生会えなくなるとして、何を伝えたいのか、何を許せなかったのか、何を言っていないのか」ということを考えてみるのも手かもしれません。
許せない人がいるというのはある意味ではチャンスであり、ヒントでもあります。
自分の中に、なんらかの「べき」「ルール」「こうでなくてはならない」という強い思い込みがあり、そのルールで自分を縛って苦しめている可能性に気付けるというチャンスです。
もちろん無理にその思い込みを外そうと躍起になる必要もありません。
しかしもし、今自分が「誰かを許せない」ということで苦しんで、辛い気持ちに包まれているのであれば、その人が自分の中のどんなルールに縛られていないのか、そして、自分自身もそのルールに縛られなくても良いんだということに気づいてみませんか。
許せない人がいても良いのです。
許せない人と同じことをしても良いのです。
許せない人を許しても良いのです。
許せない人に怒っても良いのです。
自分の中の「ルール」「常識」「縛り」、それらを少しづつでも外していき、いつか、きっと、許したり、許せなかったり、笑ったり、泣いたり、怒ったり。
それで、良いのではないでしょうか。
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