
今回は少し大きなテーマですが、自分のことが嫌いで嫌いでしょうがない、消えてしまいたい、死んでしまいたいと考えたことがある人に向けての内容です。
参考になる部分とそうでない部分があると思いますが、ぜひ最後までご覧になって見てください。
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なぜ自分のことが嫌いになるのか?

まずはじめに、なぜ自分が自分のことをどうしようもなく大嫌いになってしまうのかを考えてみましょう。
他人と比べてしまうから
大きな理由の1つは他者・自分以外のものと比較してしまうことにあります。
あの人はできるのに自分はできない、あの人は褒められるのに自分は褒められない、あの人はすごいのに自分はすごくない、といったように「〜はすごいけど、自分はそうじゃない」という思考回路が自分を嫌いにしていってしまいます。
もちろん人間ですからコンプレックスやできないこと、苦手なことや不得意なことが誰であってもひとつはあると思いますが、自分が嫌いという人はその不得意な部分・できない部分を過剰にフォーカスして自分を責めてしまっていることが多いのです。
褒められた経験や受け入れられた経験が少ないから

私たちは幼い頃に親や身近な人から受けた教育やしつけ、人間としての関わり方から多くのことを学びます。それは人と人との付き合い方であったり愛情の示し方であったり話し方であったり、そして自分自身の扱い方もそうです。
もし親や身近な人から過剰に責められて育っていたり何をしても褒められたり認められたりすることが無かったら、大人になってからも自分は褒められる人間じゃない、受け入れられる人間じゃ無いんだと認識してしまい一人で自分のことを責めて嫌いになって受け入れられなくなってしまいます。
小さい頃から褒められたり本当の自分を受け入れられたりすることが少なかった記憶はないでしょうか。
過剰なまでの完璧主義だから
完璧主義であることは仕事や人間関係においてもちろん良い部分もあります。
しかしながら人生や取り組み、これからやろうとすることややってきたことに対してあまりにも完璧主義が過ぎるとそこから逸脱した自分を受け入れることができずに嫌いになってしまいます。
100点のテストは良くて90点のテストはダメ、のようにはっきりと点数がわかるものならまだ救いはあるかもしれませんが、生活において100点という基準はほとんどの場合存在しません。
自分は完璧だと思っていても違う人からすれば完璧じゃない、そしてそんな完璧じゃなさを隠すためにがんばるけどまた違う人はそれを完璧じゃないと判断する…、という無限の完璧探しに陥ってしまい永遠に納得することができません。
自分のことを全部好きにならないといけないと思っているから

もしかしたら自分のことを完璧なまでに全部好きにならなくてはならないんだ、と一種の強迫観念のようなものを感じてはいないでしょうか。
自分のことを嫌いになることがダメなことで、自分のことを好きになることが正しいことだ、と。
確かに自分のことが好きになれれば自然と自信がつきますし、色々なことに対してコンプレックスや悩みを抱えることが減り、苦しさも和らぐかもしれません。
しかしながら、無理やり嫌いだと思う感情を否定して好きになろうとしても余計に辛くなってしまう一方です。
嫌いな食べ物や嫌いな人を好きになれ、と言われて「はいそうですか、わかりました」と納得して好きになることはほとんど無いと思います。
なので、もし自分のことが嫌いになることをやめなくてはならないと考えている場合はその義務感を下ろす必要があります。
やりたくないことをやっているから
自分の好きなことややりたいことをやらずにいる・我慢するというのは大変なストレスです。
それに加え本心ではやりたくないと考えていることをやり続けたり我慢して取り組むというのは自分自身の性質や本能、あり方を否定するようなものになります。
自分はこれが好き・これが嫌いと感じることはある意味では自分自身のアイデンティティを表現するもの。
それを捻じ曲げてまで我慢してやることは自分にとってとても否定的な、自分自身を偽って自分ではない誰かになろうという行動とも捉えられます。
なぜ死にたいと思うのか?

では次に、自分のことが嫌いという状態を越えて、「もう死にたい」と考えてしまう原因を考えてみましょう。
自分のことを否定ばかりする人のそばにいるから
外的な要因としては、攻撃的な人のそばにいることが原因かもしれません。
もし誰かから「嫌いだ」「消えろ」「死んでくれ」といったように言葉の暴力、ひどい時には肉体的な暴力を受けていたりすれば誰だって嫌になります。
過剰なストレスを受けているから
人間関係で嫌な思いをすることの他にも、仕事や勉強、生活において過剰なストレスを感じていることをやってはいないでしょうか。
本当はやりたくないのにやっている、嫌なのに引き受けてしまってる、関わりたくないのに関わっている、危険な状態かもしれません。
逃げ出してはいけないと考えているから
今の環境や人間関係・仕事や勉強から逃げてしまってはいけないと考えている場合も極端に自分を追い詰めて死んでしまいたいと考えることにつながります。
逃げることは情けないこと、逃げるくらいなら死んだほうがマシ、といったような極端な思考が自分を追い詰めてしまい結果として本当に死んでしまいたいというような状態になってしまうのです。
死にたくないと考えているから

本質的には、「死にたくない」と考えている可能性があります。
死にたいほど苦しいし、辛いし、全部やめてしまいたいけど、もしどうにかなるんだとしたらどうにかしてみたい、という状態が死にたいと考えている状態ではないでしょうか。
生きたいけど生きるのがつらいから死にたい、つまり前提としては生きていたいと考えていることがあるかもしれません。
人生がつまらないと感じているから
例えば楽しいことをしているときや好きなことをしている時は生きるのは素晴らしいと感じるのではないでしょうか。
でもつまらないことや辛いことで溢れていてどうしても嫌だから死んでしまいたいと考えるのかもしれません。
もし世の中が自分の好きなことややりたいこと、面白いことや楽しいことに満ち溢れていたとしたらどうでしょうか。
それでも「死にたい」と考えるでしょうか。
死んではいけないと感じているから
逆に、死んではいけない、死ぬことはいけないことだという強い思いから死ぬことへの恐怖、死にたいけど思い悩む、という状態にあるかもしれません。
食べたいときに食べられる状態なら、何も思い悩むことはありません。
食べたいけど食べられないから、死にたいけど死ねないから思い悩むのです。
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自分が嫌いで死にたいと感じた時にやってみて欲しい7つのこと

それでは上記のことを踏まえながら、「自分が嫌い・死んでしまいたい」と感じた時に考えてみてほしいこと・やってみて欲しいことを挙げていきます。
1つでも参考になれば幸いですので、ご覧になっていってみて下さい。
やめられること・やめたいことをやめてみる
自分のできる範囲でやめられること・やめたいことをすべてやめていってみましょう。
人付き合い・仕事・勉強・趣味・やっていること・やってみたいこと・生活のルールなど、自分がやっているけどやめられそうなことをひとつでも多くやめてみます。
自分の好みや趣味・生きがいとも感じることとやりたくないこと・好きでもないことが複雑に絡み合って、自分の人生はやりたくないことばかり・面白くないと感じているかもしれません。
そこでやめたいと感じることはやめていき、自分にとって必要なもの・大切なもの・好きなものを出来る限り見渡せるようにしましょう。
嫌いなこと・やりたくないことにばかり目を向けてしまうとどうしても気が滅入ってしまいがちになります。
好きなこと・やりたいことをする
嫌いなことややりたくないことをあぶり出して、自分の好きなことややりたいことと区別できるようになったら好きなことややりたいことをやってみましょう。
好きなことややりたいことというのを高尚なものとして捉えるのではなく、何もしたくないならボーっとするのもありですし、寝ていたいのなら寝てもOKですし、ラーメンが食べたいと思ったのなら食べに行きます。
好きなことがあればその好きなことをやってみて、世の中にはまだ自分が好きなことをする余地がある、好きなことややってみたいことをやっても良いということを再確認してみましょう。
自分本位になってみる

やりたいことをやってやりたくないことをやめる、というのはとてもわがままなことだと捉えられるかもしれません。
しかしながら、死にたいと思うほどに自分のことを嫌いになってしまっているのは自分のことを卑下して最低な人間だと言う風に厳しくジャッジしていることが大きな原因です。
自分に甘い人はそこまで自分のことを追い詰めるでしょうか。
自分に多少は厳しく真面目に接することは大切かもしれませんが、それが自分を追い込むような形になるのはまた別の話です。
できる範囲で良いので自分に甘く、自分のわがままを許していってみましょう。
欠点や短所があっても良いと考える
自分のことを嫌いになることは辛いことです。
人には誰だって向き不向き・得意なこと不得意なことがあって当たり前ですが、それを良し悪し・長所短所として捉えると一気に劣等感や自分を責める形になってしまいます。
そして悪いと思っている部分や欠点・短所と感じていることがあまりにも醜く思えてしまい、さらにそれを受け入れられずどんどん嫌いになっていってしまいます。
しかしながら、欠点や短所というのはどうやってもなくなることはありません。
どんな長所や素晴らしいものであっても別の視点から見れば短所や欠点が存在するからです。
自分が尊敬している人や好きな人には欠点や短所が無いでしょうか。
そんなことはないでしょう。
誰だって欠点や短所と感じるものはあるものです。
自分自身もそうであって良いのです。
嫌いになったり死にたくなったりしても良いと考える
自分を嫌いになったり死にたくなったりすることは避けたいことかもしれませんが、それは今自分がやりたくないことやしたくないこと、自分の望まないことをやり続けていたり演じているからです。
つまり心のサイレン・お知らせのようなもので、原因を知らないとどうやっても止めることはできません。
止めるのはやめましょう。
止めるのではなく、今自分が何をしたくて、何をしたくないのかを知りましょう。
嫌いだ、死にたいと思うのはある種の自分の心の声なので、それを無視したり止めようとすることは自分自身を否定してしまい悪循環に陥るきっかけになってしまいます。
感じることを否定しない。
それがひとつの対処法とも言えるでしょう。
誰かの理想に沿わなくても良いと考える

死にたくなったり嫌いになったりすることに思い悩んでいる場合、「自分のことを嫌いになったり死にたくなったりすることはダメなこと」という意識が強く根付いているかもしれません。
あるいは、自分は素晴らしい人間になって、お金持ちになって、誰からも尊敬される人間になって、誰かを喜ばせる人間にならなくてはならないんだと思い込んでいるかもしれません。
それらを否定するわけではありませんが、それは自分自身の理想像・やりたいこと・なりたい自分でしょうか。
多くの場合は、世間一般・親・周りの人が言っている理想像では無いでしょうか。
そしてそれに沿うことができなかった自分を卑下して嫌いになってしまう。
しかし、理想像が自分の本心からのものではない場合、それに傷つく必要がありません。
自分のやりたいことではないし、なりたい自分ではないのですから。
もし自分の理想像と今の自分の姿が違っていて絶望して嫌いになってしまっている場合は、今一度理想が自分の心からの理想なのか、それとも誰かが言っていた理想像なのかをはっきりさせてみましょう。
そしてそれが他人の言っていた理想像ならば、それに答えなくても良いんだということを意識してみましょう。
自分の感情を吐き出す・アウトプットする
死にたいと思うほどに思い悩んでいる場合、カウンセラーや病院、先生や親、友人や知人にすら相談できないほど抱え込んでしまっていることがあります。
その場合は無理に相談しに行くのではなく、まずは自分自身でできる範囲で気持ちを外に吐き出していってみましょう。
ノートに書いたり声に出したり、歌を歌ったり体で表現してみたりなど、自分が抱えている思いを一度外に出してみます。
自分の気持ちに客観的になれるだけでもスッキリする部分はありますし、気持ちの整理をするきっかけにもつながります。
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まとめ

以上、自分が嫌いになったり死にたくなったりした時に考えてみてほしいことでした。
私自身、学生時代・20代の初め頃は全然自分のことが好きなれず、どこかで自分を偽って自分を殺して生きているような感覚がありました。
多分それは大げさな話なのかもしれませんが、当事者にとっては本当に苦しくて辛くて、まさしく「死んでしまいたい」とも思えることだと感じます。
しかしながら、どうせもう立ち直れそうにないと考えるのであれば一度でも良いので完璧に自分自身に甘々になってみて下さい。
世間のしがらみや掟・ルール・やらなくてはならないこと・やるべきだと感じていることのうちできる範囲でいいのでやりたくないと感じていることをやめてみましょう。
そして自分の好きなことをしてみましょう。
そしてその時はそれが本当に自分のやりたいことかどうかも見定める必要があります。
誰かの意見や理想に従って生きてきたので苦しい思いをしていることが多いと思います。
自分の好きなことややりたいことを、誰かに言われたからではなく、世間で素晴らしいと言われているからではなく、本心からやりたいと思っているからやることで少しでも希望や生きることの楽しさを見つけて欲しいです。
少し疲れてしまったのなら休めば良いですし、自分には好きなことややりたいことをする余地がある、生きることを楽しむことができると感じていきましょう。
一度でも良いから自分のすべてを許してみてあげて下さい。
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