
やりたいことが、分からない。
何をしたいのか、自分が何をしたいのか、全然わからない。
そんな人が、そんな時があることと思います。
私自身、時に自分のやりたいことに迷い・疑問・なんだったっけ?、という気持ちを持つことがあります。
しかしそんな自分を卑下したり、閉じ込めて、自暴自棄になってしまうことは無い、とも思います。
落ち込んで、ゆっくりして、自分の胸にしっかりと聞いてみれば誰しも、自分のやりたいこと・やりたいことへのヒントが見つかるはずです。
今回は、『自分のやりたいことを見つけるにはどうするのか』ということについて考えてみましょう。
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やりたいことが見つからない、なんてことはないのだろう

やりたいことが見つからない!
やりたいことが分からない!
そんな悩みを抱えたり、自分に迷ったりすることが私も、あなたも、誰しもあることだと思います。
しかし実際にはやりたいことが無い、ということはないのでは無いでしょうか。
おそらく多くの場合、何かしらの勘違いや思い込みをしてしまって見えにくくなってしまっているだけなのです。
やりたいことを、限定してしまっている
やりたいことが見つからないと考えたり感じたりしている人の中には、「教えられてきたこと・社会が良しとしていること」の中に自分のやりたいことが無いだけの人がいるかもしれません。
私たちは長い時間の教育や躾の中で、「これは良い」「これは意味がない」「これには価値がある」「これはムダ」「これは仕事にならない」「これは褒められない」「これは親が許さない」「これは金にならない」といった事柄をどうしても排除してしまうようになる傾向があるでしょう。
しかし、やりたいことが見つからない人はそんな「価値がないと言われそうなこと」「意味がないと言われそうなこと」「普通じゃないと思われそうなこと」の中にやりたいことがある可能性があるのです。
誰が悪いというわけではなく、皆それぞれが良しと思って教えてきたり、教えられてきたり、与えたり与えられてきたことが「自分にとっては違っていた」というだけのことです。
自分のやりたいことを自分で否定して、押し込めるのはとても辛い
自分のやりたいことが社会的に、言われてきたことに、普通や常識、親の教えにそぐわないことだからと言って押し込めてしまうのはとても辛いのです。
『自分』という存在を自ら否定して、押し込めてしまうことになるからです。
しかし同時に、そんな『自分』を表現して生きることはとても勇気や覚悟がいることだと思います。
時に否定されたり、理解されなかったり、怒られたり、めげてしまったり、笑われてしまうこともあるからです。
そもそも、自分のやりたいことは人と違っていて当たり前
やりたいことが見つからない、やりたいことがわからないという人は、そもそも誰かが言っている「やりたいこと」が自分のやりたいことと違っていて当たり前だと思っていたほうが良いかもしれません。
それは親子であろうと、友人であろうと、恋人であろうと、誰であろうと。
人と同じような「やりたいこと」をしなくてはならないという考えが自分を縛っているのであれば、少しだけでもその縛りを外してみても良いのではないでしょうか。
現代人のやりたいことと、100年前に生活していた人がやりたいことと、100年後に生活するであろう人と、それぞれが異なっていて当たり前です。
たまに同じようなことがあっても、細部は全ての人が異なっていることでしょう。
やりたいことって何なの?
そもそも、「やりたいこと」というのはなんなのでしょうか?
やりたいことが無いという人は、子供の頃からそうでしたでしょうか?
あれが見たい、これがしたい、あれが欲しい、あれが気になる、あそこへ行ってみたい。
本当に、そんな気持ちが欠片も無いでしょうか?
なんとなく気になること、興味のあること。
今この文章を読んでいる人にとっては、「やりたいことを見つけたい」という行為すらもやりたいことではないでしょうか。
やりたいこと、というのは無くなるものではないのでしょう。
寝たい、生きたい、行きたい、辞めたい、したい、食べたい、話したい、付き合いたい、見たい、聞きたい。
私達が生活している上で、全ての行動が「やりたいこと」でもあります。
それがどんな悩みや苦しいことであっても、「やりたいこと」のはずです。
やりたいことが見つからない、やりたいことが無い、と悩んでいる人は、自分の中の「ワクワクする」やりたいことが見えにくくなっているだけなのです。
やりたいことを見つけるための打開策とは

では、今自分の「ワクワクするようなやりたいこと」が見えにくくなってしまっている時は一体どうすればやりたいことが見えてくるようになるのでしょうか。
やりたいことに、優劣も価値も意味も、何もつけなくていい
まず初めに、「やりたいこと」について今まで教わってきたような立派なこと、意味のあること、優劣、価値を見出だせなくても良いことを感じてみましょう。
本当に小さな、小さなこどもの頃のような感覚で良いのです。
あ、あれがしてみたいな。
あ、あそこに行ってみたいな。
あ、あれが読みたいな。
そんな大したことないようなことでも良いのでひとまず取り組んでみましょう。
やめたいこと・やりたくないこともやめることも大切
やりたくないこと、やめたいことをやらないようにしていく・やめていくことも一つの「やりたいこと」なのです。
つまり、「自分の本心に従って行動してみること」がヒントかもしれません。
そんなことができるわけがない、やってはいけない、やれない、と感じても大丈夫なのです。
そこに優劣も、貴賎も、正誤もありません。
自分がしたいか、したくないか、やるか、やらないか、しか無いのです。
どちらを、どれを選んでも「自分のやりたいようにやった」のです。
その後に辛くなったり、楽になったり、怒られたり、笑われたり、泣かれたり、送り出してもらえたりもするのです。
結果にこだわらないようにしていく
やりたいことを見つけたり、実際にやる時に脳裏によぎるのが『結果』や『反応』でしょう。
これをしたら痛い思いをするんじゃないだろうか、傷つくんじゃないだろうか、バカにされるんじゃないだろうか、結果が出ないんじゃないだろうか。
そんな思いがよぎることでしょう。
当たり前です。
誰しも不安になったり、期待してしまったりするのです。
それを深く責めすぎす、そして過剰に期待しすぎずに行動してみることも大切かもしれません。
一銭の得にもならないようなことでも良い
どうしても「価値のあること」「意味のあること」をしなくてはならないという思い込みが取れないこともあると思います。
それでも構わないのです。
それでもなお、やってみる、か、やってみないか、です。
そして一つ言えるのは、今まで「やってみない」という選択をし続けてきたのであれば、一度でも良いので「やってみる」という選択を取ってみるのも良いのでは無いか、ということです。
やらない選択をした後の世界を見続けて、しっくりこなくて、諦めきれなくて、どうしてもなんとかしたいのであれば、一度でも良いので「やってみる選択」をした後の世界を覗いてみませんか。
仕事につなげても良いし、繋げなくても良い
やりたいことを仕事にしなくてはならない、お金に繋げなくてはならない、という思い込みも自分を苦しめてしまうことがあります。
もちろん、自分のやりたいことを見つけて、行動して、それが仕事につながっていくことは嬉しいことです。
しかし同時に、「仕事にしなきゃ」「お金に繋げなきゃ」という意識が強すぎると自分のやりたいことの本筋から離れてしまいがちです。
おそらくどこかで「なんか違うな」「なんか嫌だ」と心や身体、または周囲の何かに膿となってズレが生じてくることでしょう。
その時はその時で再び「子供の頃のように、ただただ興味のあること、面白そうなことって何だろう」と自分に問いかけて、行動していけばよいのです。
ただただ、ワクワクすること、痛そうでもやってみたいことを
基本的に、本当に「やりたいことが見つからない」「やりたいことが無い」という状況は無いことでしょう。
心のどこかに在るものでしょう。
しかし、長い長い思い込みや教えの中で「それはしてはいけない」「それでは食っていけない」「それはおかしい」「親が悲しむ」という意識が強く働いてしまって閉じ込めてしまうのです。
やりたいこと、というのは、『痛い思いをすること』が多々あります。
誰かに反対されたり、悲しい顔を見たり、拒絶されたり。
仕方がないのです。
自分のやりたいこと、自分の生きる道と、他の人のやりたいことや生きる道は違うものだからです。
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やりたいことを見つける時に頭の片隅に置いておいてほしいこと

やりたいことを見つけよう、そして実際にやってみようと思った時に頭の片隅にでも置いておいてほしいことがいくつかあります。
反対されたり、ぶつかったりしてもいい、感情を味わって良い
おそらくすべての人が自分のやりたいことをやったり、見つけたりした時には家族や友人、周りの人から反対されたりぶつかったりしてしまうことでしょう。
誰が悪いことでもなく、誰が正しいことでもありません。
考える事、感じること、やりたいことが根本的に違うのです。
ぶつかったりショックを受けたり、傷ついたりムカついたり、怒りを感じたり許せないような感情になった時はそんな自分をまず第一にして良いのです。
ムカつくなぁ、悔しいなぁ、辛いなぁ、クソ〜、そんな気持ちは決してダメな感情では無いのです。
心の底からやりたいことが分からなくてもいい
何が何でも自分のやりたいことを見つけようとして、焦って、苦しんで、自分を責めてしまうこともあるかもしれません。
もちろん自分を責めてしまっても良いですし、引きこもってしまってもよいのです。
その上で知っておいて欲しいのが、長い間自分のやりたいこと・気持ちを封印してしまっているとどうしても自分の中のやりたいことに向かうセンサーが鈍くなってしまっているものなのです。
ゆっくりと、自分が何かやってみたいな、と思うタイミングだけでも良いので少しづつ面白そうなこと、やってみたいことを簡単でくだらないと思えるような遊びでも良いので実践してみましょう。
やりたいことを見つけて、やっても、嫌なことは起きる
やりたいこと・楽しそうなことをやる、というのは誰しも望むことですし、実際に楽しいことです。
それでも、現実的に嫌なこと・怒られること、批判も病気もあることでしょう。
やりたいことを見つけて、実際にやるというのは何もそれが絶対的に正しいことではなく、一つの生き方にしかすぎません。
厳密にはすべての人がやりたいことをやっているのです。
期待や、押し付けや、自分が絶対的に正しいという考えもできるだけ手放してみましょう。
そしてこの考え方も、ただの一つの意見にしかすぎません。
とにかく自分に聞いたり、感じたりするしかない
実際に行動したり、本を読んだり、何かを見たりすることも大切です。
それと同時に、「やりたいこと」というのは自分の中に聞くしかありません。
親や先生、社会や他人に聞いてもわからないのです。
「何がしたい?」と尋ねて、そこに優劣も付けず、ジャッジも、バカにしたりすることも無くとにかく実践してみることで自分の心のセンサーを敏感にしてみましょう。
まとめ

やりたいことを見つける、という作業は無意識のうちに常にやっていることでもあります。
あの人と話したくないなぁ、怒られたくないなぁ、見たくないなぁ、行きたくないなぁ。そして実際に出来事に遭遇する。
ネガティブなことですらイメージして実践しがちです。
やりたいことが見つからない、と言うのは、常識の範囲ではやりたいことが見つからない、あるいは、「やりたいことが見つからないという状況をやりたい」という状況に嵌ってしまっているだけなのです。
とにかく常識や教え、こう言われてきたから、という制限を少しづつ外してみて、意味がない、お金にならない、ムダだと言われそうなことでも良いので自分のやりたい「しょうもないようなこと」ですら大切にして行動してみましょう。
その際に不安になったり、できるのだろうか、意味が無いんじゃないだろうか、凹んだら立ち直れないんじゃないだろうか、あらゆるネガティブな意識がささやき始めます。
それで良いのです。
それで自分のやりたいことを引っ込めてしまってもよいのです。
自分のタイミングで、できそうなとき、根拠もなく行けそう、と思える時にやってみれば良いのです。
私たちは、できないことでは悩みません。
できそうだから悩むのです。
変化してしまうかもしれないから。期待通りじゃないかもしれないから。
恐れているのは自分一人だけではありません。
私も、あの人も、どの人も、恐れるのです。
大丈夫なのです。
くだらないような、お金にならないような、ただただお金のムダになりそうなこと、ただの遊び、ただの旅行、ただの冒険、ただの買い物、ただの趣味、ただのバカ。
なんと言われそうでも良いのです。
もし、自分の心が何かしら「これをやると、どうなるんだろう?」という反応を示しているのならやってみることをオススメします。
少なくとも、「あのとき、やっておけば良かった」ということが減っていきます。
これまでの常識、教え、親の価値観にそぐわない、あるいは未だかつて誰もやったことのないようなことをしたいと思うのであれば、そこに向かっても良いのです。
自分で、見つけて、自分で、作ってよいのです。
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