こんにちは、Hikoです(*^^*)
皆さんは普段生活していて「忙しいなぁ」「休みたいなぁ」「何もしたくないなぁ」と考えることはどれくらいの頻度であるでしょうか。
以前から何もしたくない時間が欲しいと考えているにも関わらずずっと動き続けてしまっている場合には、一度足を止めてゆっくりしてみることの大切さを知ってみるのはどうでしょうか。
今回は、そんな『何もしない時間』が生む私達への好影響についてご紹介していきましょう。
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目次
なぜ私たちは「何もしない」ことができないのか
「何もしない」という言葉を見てあなたはどのような印象を受けるでしょうか。
羨ましい・サボってる・ムダな時間。
様々な印象があると思いますが、少なくとも決してムダな時間ではないのではないでしょうか。
そしてそういった「何もしない」ことはいけないことだ、という印象がいつの間にか自分自身を縛り付けていざゆっくりしようとしてもできなくなってしまう。
そんなこともあると思います。
では、一体なぜ「何もしない」という一見どうということのないような行動がなかなか取ることができなくなってしまうのでしょうか。
小さい頃からの教育の大きさ
私達、特に日本人の多くは小さい頃からありとあらゆる物事を詰め込まれて生きてきたのではないでしょうか。
学校や習い事・スポーツや趣味、果ては友人との付き合いまで細かく管理しようとして目一杯詰め込んで生活しようとしていきます。
実際はそこまでしなくてもいいのではないかとい感じながらも、多くの人がそういった詰め込み教育に慣れてしまっていかに多くの物事をこなすかがステータスの一つになってしまっているかもしれません。
そういった様々なことを余裕をもってこなせているうちはいいかもしれませんが、いつの日にか自分のキャパシティを超えてパンクしてしまうこともあるでしょう。
しかしながら、小さい頃からより多くの物事を常にこなすことが良しとされてきたとすれば、なかなかそれらをやめてゆっくりしようという気持ちにもなれないかもしれません。
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「何もしない」ことは悪?
そういった詰め込みのライフスタイルには、「何もしない」「何もしていない」という状態に対するマイナスイメージがついているからではないでしょうか。
いかに多くの物事をこなすかがその人の価値のようになってしまえば、本心では休みたくとも「何もしない」ことへの罪悪感から止まれなくなってしまいます。
「何もしない」という行動の表面的な部分だけを見て悪印象を抱いてしまっているといえるでしょう。
他人との比較から止まれなくなってしまう
教育や環境の中で自分も周囲も常に動き続けることを見てきたために、立ち止まることは他の人に比べておかしいことだと感じてしまうようになってしまいます。
競争したり切磋琢磨することも良いことですが、自分のペースを無視して過度に行動して他人との比較を中心にして生活することはとても大変なことではないでしょうか。
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「何もしない」時間が怖いから
そして「何もしない」という行為への悪印象やマイナスイメージを抱いてしまった場合、そのまま自分が休んだり立ち止まってしまうことに罪悪感や恐怖心を強く抱いてしまいます。
自分が「何もしていない」と感じている間に周囲の人たちはどんどん先に行ってしまうのではないのか、立ち止まった自分はダメな人間ではないのか。
小さい頃から「何もしない」という時間を過ごすことがなかったため、何もせずただただゆっくりしたり自分の時間をとることができなくなっていつまでも動き続けて自分を追い詰めていってしまいかねません。
また、「何もしない時間」を作ってしまうと忙しさの中で考えることの無かった自分の感情や思いと向き合うことにも抵抗感を抱いてしまうのです。
「何かをし続ける」とどうなっていくのか

多くの人が考える「何かをしている状態」、つまり仕事や趣味・スポーツや学業、勉強や人付き合いや家事など外から見て活動していると感じれることをし続けることにはどういった危険性があるのでしょうか。
過労・うつの問題
現在ニュースなどで多く取り上げられる問題の根本には「何かをしなくてはならない」という意識が働いているのではないでしょうか。
常に働いたり動いたりすることこそが有意義であり良いことだと考えるあまり自分でも止めどころがわからず過労や、ひどいときではそのままうつ病のような症状が出てしまうこともあります。
エネルギーが切れているにもかかわらず動き続けることは自分の身も心も蝕んでいってしまうことがわかっているにも関わらず、「何もしない」ということができないあまりに自分の限度を超えた活動をしてしまうのです。
自分自身をも見失ってしまう
「何もしない」時間を作らずにひたすら動き続ければその分自分のことを考えたり思いを巡らせたりする時間も無いわけで、結果自分の本心ややりたいこと、考えをも見失ってしまう恐れがあります。
一度止まって頭の中を整理したほうが良い場合でもそうすることができず走り続けることで、自分の望まない方向へ進んでいってしまうのではないでしょうか。
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「何もしない」をすることがもたらしてくれる4つのイイこと

では、「何もしない」ということの重要性とはいったいどのようなものなのでしょうか。
そもそも「何もしない」とは?
「何もしない」という時間はいったいどのようなものを指すのでしょうか。
人によって思いつくことは違うかもしれませんが、やはり「何もしない」というのはスマートフォンやパソコン、あるいは本や音楽なども無い状態で過ごすことでしょう。
まさに「何もしない」状態です。
このような完全に「何もしない時間」というものを取ることはどれくらいあるでしょうか。
もちろん無理にその状態で過ごす必要もなく、軽く音楽や読書、ネットサーフィンをするなど「自分の思う何もしていない時間」というものでも良いでしょう。
リフレッシュできる
私達が思っている「何もしていない」という状態は実践してみると本当に何もしていない状態ではないことがわかります。
なぜなら周囲から見ればただボーっとしているように見えても頭のなかでは考え事をしていたり、あるいは瞑想していたり、日頃考えすぎてしまうことを頭の隅においてリラックスしている状態がほとんでだからです。
「何もしていない」と感じるのは外面的に行動しているようには見えないからなだけであって、実際はリフレッシュにもつながる行動をとっているのです。
「何もしない≒リフレッシュ」と考えればより良い印象を受け取れるのではないでしょうか。
自己肯定感を高めてくれる
見落としがちでなおかつ大事なポイントですが、「何もしないことをする」というのは「ありのままの自分でいる」ということでもあります。
何かをしている自分ではなく、ただそこにいてゆっくりしている自分であること。
その自分でいることで、「特に何もしていない自分」を認めることにつながり結果的に自己肯定感を高めることになります。
何かをしている自分だけしか認められないよりも「何もしていない自分」を自分自身で認められることは大きなポイントではないでしょうか。
何かをしていなくとも自分は落ち着いて過ごすことができる、それを知ることはとても大切なことです。
生産性が高まる
「何もしない時間」をとることによって仕事や作業の時間とのメリハリが生まれてより生産性が向上します。
常に動き続けるのと適度に休みを取りながら活動することはスポーツでも日常生活でも等しく大切なことではないでしょうか。
自分自身を見つめ直せる
「何もしない」というある種の内省的な時間をつくることによって自分自身と向き合うことが可能になります。
これまでやってきたことやこれからやっていきたいことなど、自分自身の軸を見つめ直すのにとても最適な時間になること間違いなしです。
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まとめ
私も含め、多くの人はついつい過度に行動してしまう傾向にあると思います。
外面的に写る行動=何かをしていることが良いことと考えるあまりに「何もしない≒自分の中でゆっくり考えたりリフレッシュする」ということが疎かになりがちです。
「何もしない」ことをすることでサボっていたりダメなことだと見られることもあるかもしれません。
しかし、少ない時間でも「何もしない」ことによって見えてくるものもあります。
今まで過剰に動いてきたけれど実際はそこまで頑張らなくても良かったのではないか。
「何もしないこと」への恐怖はあったけれども実際はゆっくり休めたり自分のことをしっかり考えるきっかけになった。
常に動き続けることでいつしか自分の望まないことまで背負い込んでしまっていた。
実際に私が「何もしない時間」を取ってみて感じたことです。
少し疲れたな、休みたいな、何もしない時間を取りたいな、と考えている方は休日の一瞬の時間だけでも取り入れてみてはいかがでしょうか。
必ず自分にとってとても豊かな時間が送れますよ(*^^*)
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