なんのために生まれてきたの?6つの見解と答えの5つの探し方

Hiko
みなさまこんにちは、Hikoです(*^^*)

 

今回のテーマは『自分がなんのために生まれてきたのか』ということについて。

おそらく多くの人が一度は悩んだことのあることだと思います。

 

そしてその答えを求めて何かにすがったり人に訊ねてみたり、いろんなことをしたことがあると思います。

 

でもそれらの答えは何を聞いてもしっくりこない。

 

納得出来ないわけではないですし、意味がわからないという答えも多くあると思います。

しかしなんだか腑に落ちないような答えを教えられたり知ったりすることがあるのではないでしょうか。

 

そこで今回は未熟な僕なりの『なんのために生まれてきたのか』ということについての1つの見解をまとめてみたいと思います。

 

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なぜ人は生まれてきた理由で悩むの?

なぜ私たちは『生まれてきた理由』という大きなテーマでこれほどにまで苦しく悩んでしまうのでしょうか。

 

今が何もかにも楽しくない時だから

1つの理由は「生活が楽しくないから」「何も楽しめないから」ではないでしょうか。

 

それもちょっと楽しくないとかではなく、圧倒的に、絶望的に、何もかにもが楽しくないと感じている。

 

少しでも楽しいことがあればそれで気を紛らわすことができるかもしれませんが、

何もかにもがつまらなくなっていれば自然と生きることに対して疑問が湧きますよね。

 

『あれ?自分は何のために生まれてきたのだろう?』と。

 

誰かの役に立ちたいと思っているから

人間には根源的に「何かをしたい・してあげたい」という感情があると言われています。

 

それは小さい子供が親を喜ばせたい・親の笑顔が見たいといった感情と近く、

「愛情」「ありがとう」という言葉をもらえると思うからより喜ばせたいと思います。

 

無償の愛というものもあると思いますし、何かわからないけど誰かの役に立ちたいという気持ちが誰にでもあるのではないでしょうか。

 

そしてそこに誰かの笑顔やありがとうという言葉があればなお良い、といった気持ちもあると思います。

 

「誰かの役に立ちたい」という思いが生きがいとなってもそれをする方法や相手が見つからない場合、

『自分は何のために生まれてきたのだろうか』と思い悩んでしまうのではないでしょうか。

 

誰にも愛されていないと感じているから

上記に関連して、親や身近な人から「愛情」をもらえなかった・もらえたとは思えなかった場合は、

根本的に自身への愛情や信頼・生きていて良いという感覚が不足してしまっているかもしれません。

 

実際は愛情をもらえなかったということは無かったとしても、

子供の頃はそれを理解できずに愛されてこなかった・愛してもらえなかったと感じ続けていれば自然と今の自分にも自信が持てず、

「自分は生きていていいのだろうか」「自分は何のために生まれてきたのだろうか」と深く悩んでしまうことがあると思います。

 

立派なことをしなくてはならないと感じているから

教育やテレビなどによっていわゆる”立派な””素晴らしい””かっこいい”ことをしなくてはならないと思い込んでいる場合があります。

 

わかりやすく言えばずっとフリーターはダメで、

会社員や広く世間に影響力のある仕事や生き方をしなければならないと思い込んでいる可能性があるということです。

 

自分が本質的にそれをしたいかどうかというのは二の次で、

誰かがそう言っていた、テレビではそう言っていたというだけで自分がしたいこと・しなくてはならないことと考えてしまい、

それを叶えられない自分はダメな人間だ、生きている理由のない人間だとひどく責めてしまっているかもしれません。

 

やりたくないことをやっているから

自分がやりたくないことが暮らしに溢れている場合も自分の人生の意義を問うきっかけになるのではないでしょうか。

 

何せやりたくないことをやっているものですから何をしても楽しくありませんし、苦行のような人生になってしまいます。

 

やりたくないことと言うのは特定の何かを示したものではなく、

やりたくない生活習慣・本当は我慢したくないけど言うのを我慢していることなど、

自分自身の心の声を押し殺している状態のことを指しています。

 

自分はなんのために生まれてきたの?

では悩む理由を踏まえて、個人的な見解を織り交ぜつつ「なんのために生まれてきたのか」について考えていきたいと思います。

 

賛否あると思いますがいくつかの考えを挙げていきます。

 

楽しむために生まれてきた

簡単に言ってしまえば『楽しむために生まれてきた』のではないでしょうか。

 

もちろん場合によってはこんな言葉は聞き入れられない言葉で、

綺麗事のように感じるかもしれません。

 

ですが人が「生まれてきた理由」について思い悩まない瞬間というのは多くの場合、

「なんだか楽しいな」「ハッピーだな」と感じている時がほとんどだと思います。

 

何かをしていて楽しいと感じる時は「ずっと生きていたい」「このまま最後まで楽しんでいたい」とすら思うかもしれません。

 

それくらいに『楽しむこと』ということは人が生きること・生まれてきた理由に近いものがあると思います。

 

好きなことをするために生まれてきた

楽しむことと近いかもしれませんが、『好きなことをするため』というもこと答えの1つだと思います。

 

楽しいこととの違いとしては、好きなことが必ずしも楽しくてしょうがないことでや現状楽しめることではないかもしれないからです。

 

例えばスポーツが好きで取り組んでいても、どうしても楽しめない状況や嫌になる瞬間もあると思います。

 

しかし、好きなことはちょっとやそっとではやめたり諦めたりすることもありません。

 

誰かが止めようとしても「いや、好きだから」「好きだから止めないで欲しい」

とまで言ってしまうかもしれません。

 

また、好きで人に嫌われたり苦しいことをする人もいるかもしれません。

 

人によって好きなことというのは違いますし、

絶対的に良いといわれるものはありませんから個々人で好きなものの捉え方が変わってくることでしょう。

 

やりたいことをするために生まれてきた

内容が似ているように感じるかもしれませんが、

二つともをまとめて言いたいのが『やりたいことをするため』ということ。

 

つまりそれがどんな苦行であろうと楽しいことであろうと、

自分自身が望んでやっていることでならそれこそが生まれてきた理由・生きている理由だとも思うのです。

 

やりたいことというと楽しいことや素晴らしいことだけだと感じるかもしれませんがそうでは無いと思います。

 

例えば人間は悲しいと感じたときには悲しみを表現したいと思う人もいればそこから逃げたい人もいる、

かと思えば悲しみを笑い話にしたい人がいるし思いっきり泣いてしまいたいと思う人がいるのです。

 

それぞれの人が、それぞれの形で今の自分の「やりたいことをやっている」のです。

 

しかし逆に言えば、いま現在自分があまりにもやりたくないことをやっていたり自分の本心を偽って物事に取り組んでいたりすればとても苦しいかもしれません。

 

自分のやりたいことをやらずに、やりたくないことをするというのは自分が生きている理由・生まれてきた理由を否定してしまう行為だからです。

 

もし今自分がなぜ生まれてきたのかについて悩んでいるのなら、

自分の心が全く望んでいないことをやっている可能性があるのです。

 

体験したいことを体験するために生まれてきた

自分が「これは体験してみたい!」「これは味わってみたい!」と思うことを実際に体験していくことも人が生きていく理由の1つではないでしょうか。

 

仕事とはどんなものなのか体験したい、海外旅行とはどんなものなのか体験したい、

人と付き合うとはどんなことなのか体験したい、子供を持つとどんな暮らし・どんな気持ちが待っているのか体験したい。

 

あらゆることを体験して、知りたい。

 

その欲求と、その好奇心、冒険心を味わうことが人生を楽しくさせていくのかもしれません。

 

愛を感じるために生まれてきた

少しくさい表現かもしれませんし、具体的でない考えかもしれません。

 

しかしながら冒頭でも言った、「愛情」というのは私達が生きる上で欠かすことのできないものだとも思うのです。

 

そして愛情というのをわかりやすく言い換えれば「誰かに認めてもらえること」「受け入れてもらえること」、そして反対に「自分が誰かを受け入れること」「誰かに深く感謝すること」です。

 

愛を「感じる」と表現したのは、愛を与えるとか与えられるとかではなく愛情が「あるんだな」「なんかあったかいな」という漠然とした気持ちにこそ喜びを感じると思うからです。

 

そして自分と他人の間に目には見えないがなんだかあたたかい気持ちが流れていると感じられた時に、「あぁ、なんか生きているって楽しいな」「素敵なことだな」と感じられるのではないでしょうか。

 

ただし、愛情を感じるためにはどうしても不可欠なことがあると思います。

 

それは自分自身を許したり受け入れたりすること。

 

自分の弱さや過ち・嫌なところもあるんだなと感じて、

さらにその上で自分のやりたいことをやる、そういった一連の行為が自分自身の愛情を育んで他人にも波及し、

ひいては「生まれてきた理由」であったり「人生捨てたもんじゃないな」という感情へとつながっていくのではないでしょうか。

 

幸せを感じるために生まれてきた

やりたいことや楽しいこと・好きなことをして、さらに愛情を感じることに触れた時、おそらくほぼすべての人が『幸せだ』と感じると思います。

 

個人個人で幸せを感じるポイントは違いますが、やりたいことをやって家族や友人と愛情を交わせて楽しいと感じているのに、

「幸せじゃない」と思うことってほとんど無いのではないでしょうか。

 

逆にいえば、それほどにまで『幸せ』と感じることには生きるモチベーション・生きる理由という部分に深く関わって来ることでしょう。

 

幸せを感じられないのなら何をしても楽しくありませんし、不幸なことを味わうために誰も進んで生きていこうとはならないと思います。

 

幸せを感じられるなら生きていこう、幸せがあるなら生きていこうと活力が湧くと思うのです。

 

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自分が生まれてきた理由を見つけるにはどうしたら良いの?

では次に、それぞれの人がそれぞれの「生まれてきた理由」を見つけるにはどうしたら良いのかを考えていきましょう。

 

やりたいことをする

一番目の方法は「やりたいことをする」ということです。

 

やりたいことをやっていても「なぜ生まれてきたのかわからない」と感じている場合も、もう一度それが本当に”自分の”やりたいことなのかどうかを考えてみてほしいのです。

 

つまり今やっていることややろうとしていることは本当は自分のやりたいことではなくて、

誰かに「これが良いよ」「あれをしたほうが良いよ」と言われてきたことを自分のやりたいこととして受け止めてしまっていないか、ということです。

 

何かの職業につきたい、あるいはついている方でもそれは本当に自分のやりたいことなのか、

そして他人の意見や目を気にしなくともやりたいことなのかどうかを今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 

好きなことをする

好きなことをするのも自分の人生の理由を問う良いきっかけになると思います。

 

なぜなら、自分の好きなことをしている時というのは誰かに褒められて嬉しいとか誰かの役に立つからとかといった理由を越えて、

本能的にやってしまうことでそこに自分の生きる理由・生まれてきた理由が隠されていると感じるのです。

 

例えばラーメンが好きで今食べたいと思ったのなら食べてみて、音楽を聞きたいと思ったのなら聞いてみるのです。

 

そこに何か心が震えるような感覚はないでしょうか。

 

好きなことをする時に感じる「なんだか幸せだ」という気持ちこそ、自分の生きる理由でも良いのではないでしょうか。

 

義務を感じてやっていることをやめてみる

義務に感じていること、言ってはいけないと思っていることややってはいけないこと、我慢しなくてはならないこと思っていることを簡単なところからやめていきます。

 

言いたいことを言ってみたり、我慢していたことをやめてみましょう。

 

生きていく上で絶対的に守らなければならないルールや掟というものは一体何でしょうか。

 

自分の人生を破壊したり犠牲にしたりしてまでやってはいけないことというのは一体何なのでしょうか。

 

おそらくそんなことはほとんど無いはずです。

 

もちろん法律は破れませんしどうしても我慢したりやむを得ない状況というものも存在しまう。

 

なのでできる範囲で、自分が許せる範囲で思い込んでしまっているルールや掟を破っていってみましょう。

 

自分の人生が思った以上に自由の利くものだと感じたのなら、生きることについて何らかの意味を見いだせるきっかけになるのではないでしょうか。

 

世間で言われている幸せと自分の幸せを区別してみる

やりたいことや好きなことと同じように、

自分が幸せと感じることと世間一般で幸せと”言われている”こととを区別する必要があるかもしれません。

 

自分の生きがいや楽しみを義務感に感じることは少し見直してみて、

それは本当に自分がしたいことなのか、幸せと感じると思ってやっていることなのかをはっきりさせていきます。

 

そのためにノートやメモ帳に「自分の好きなこと・幸せと感じること」を書き、

別の場所に「世間で幸せと言われていること」を書いてみましょう。

 

一致する部分があれば継続すればよいですし、違うところがあれば出来る限り自分が幸せだと感じることを優先して取り組んでいってみましょう。

 

自分が幸せと感じることをやれない限り、どうしても他人の評価や意見が気なって自分の本音で幸せとは思えなくなってしまいがちです。

 

生まれてきた理由を求めすぎない

現実逃避や無視するということではなく、

どこかに理由があるはず、あるいは誰かが生まれてきた訳を教えてくれるというスタンスになりすぎるのをやめてみましょう。

 

もし誰かに出会って生まれてきた理由と感じることがあればそれは幸せなことだと思いますが、

偏りすぎてしてしまうと一歩間違うと「依存」の世界に入っていきます。

 

生まれてきた理由を求めてそれに依存しすぎると喪失したり予想外の出来事があった時に何度も生まれてきた理由を探すことになります。

 

探さない、ということではなく、そこに自分の救いがあると思って生きるのは大変不安定で依存的な生き方になってしまうのではないでしょうか。

 

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まとめ

自分がなんのために生まれてきたのか、それを考える事や知ろうとすることは結構エネルギーが要ることだと思います。

 

自分の見たくない部分や嫌いなもの・苦手なものや本当の気持ちに触れることになる可能性が高いですし、

自分が今まで考えてきた『生きる理由』とはまったく別の答えにたどりつくかもしれません。

 

しかし本質的にはどのような回答に至ったとしても、

我々は『好きなことをする』『幸せだと感じることをする』『自分の気持に従う』といったようなところにみんなの生きる理由がつながっていくのではないかと思います。

 

今幸せでなんのために生まれてきたのかについて深く悩んでいない場合は、おそらく身の回りが自分の好きなものや好きなことで溢れかえっているのではないでしょうか。

 

つまり自分にとって幸せだと思うこと、好きだと思うことをやっていくことがそのまま自分の幸せにつながり、

ひいては生きていて楽しい・自分が生まれてきたのはこの幸せな気持ちを味わうためだったんだ、

幸せだと感じる出来事に出会うためだったんだと感じるようになると思うのです。

 

ごちゃごちゃしてしまいましたが、結論として今『なんのために生まれてきたのか』について考えている場合は、小さなことからでも良いので好きなこと・やりたいことをやり、

やりたくない・やめたいと思っていることにストップをかけてみてはどうでしょうか。

 

一度でも本当に「自分が幸せ」「やりたいことをできている」と思える瞬間に巡り合えたら、少しでも気持ちが楽になると思うのです。

 

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